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2008年1月 8日 (火)

「白鳳」年号の位置づけ

現在の歴史学会の定説では、「白鳳」は『日本書紀』に現れる「白雉」の異称ということになっている。
また、「白鳳」は、いわゆる「九州年号」の代表的存在でもある。
丸山晋司『古代逸年号の謎』アイ・ピー・シー(9202)は、正史に記載されていない年号を「逸年号」という呼び方で統一し、各種の史料類を広範に渉猟して整理した労作である。
同書を参考に、「白鳳」という年号に関して検討してみよう。

坂本太郎らの学会の権威が、「白鳳」が「白雉」の異称であるとしてきた論拠は、『藤氏家伝』の白鳳5年の記事と、『日本書紀』白雉5年の記事が一致する、と見なせるということであった。
しかし、『藤氏家伝』における他の「白鳳」記事は、「白雉」の1年前を元年としており、これらの事実は無視される形で定説が形成されてきた。
これらの記事の「白鳳元年=白雉の1年前」は、貞観23(649)年己酉に相当する。
『藤氏家伝』以外にも、天武朝初期(672、673)や斉明7(661)年辛酉を「白鳳元年」とする史料が多数見られる。
つまり、逸年号における「白鳳」は3タイプに分類される。

笹山晴生『日本古代史講義 』東京大学出版会(7703)に、「平安時代に入って、天武朝の年号として白鳳があったとする観念が生まれた」とあるが、丸山氏は、天武朝初期の672年壬申、673年癸酉年を「白鳳」元年としているのは、「白鳳」が天武と非常に係わりの深い年号と考えられていて、天武元年を白鳳元年として意識したものであろう、としている。
そして、天武元年について、天武の実際の元年は「壬申の乱」によって近江朝を転覆した年ではなく(それは近江朝の大友皇子が即位していれば弘文元年になる)、翌年の癸酉年だったと考えるのが妥当ではないか、としている。
とすれば、天武と関連付けらて考えられる「白鳳」の元年は、癸酉年ということになる。

そう考えると、3タイプの「白鳳」は、すべて「酉」年を元年としていることになる。
「白鳳」年号が実在したことは、『続日本紀』の記述で裏付けられ、それは『日本書紀』の「白雉」の異称ではない、と考えた方が妥当である。
3タイプのうちのいずれかが実在した「白鳳」であり、他は「酉」の年による誤伝と考えられる。

これらのうち、『藤氏家伝』に登場する己酉白鳳(孝徳白鳳)は、藤原氏という「大和政権」中枢部の氏族が伝えるものであるから、これが正しいとすれば、『日本書紀』の編者はこの年号を無視して、乙巳大化、庚戌白雉を設定するというようなことはあり得ないだろう。
また、己酉白鳳は、癸酉や辛酉に比べると数が少ない。
さらに、『続日本紀』は、「白鳳以来、朱雀以前」と「白鳳」と「朱雀」をセットで記述している。
史料群を検討すると、癸酉白鳳には壬申朱雀が、辛酉白鳳には甲申朱雀がセットになっているのに対し、己酉白鳳には対になるべき朱雀が不明である。

癸酉白鳳は、天武即位年という重要な位置にあり、『日本書紀』の編者が見逃すことは不自然であろう。
また、『続日本紀』の「白鳳以来、朱雀以前」は、素直に読めば白鳳が朱雀に先行していると考えられる。
癸酉白鳳の場合、壬申朱雀が白鳳に先行することも不自然である。
朱雀を朱鳥の誤伝とするならば、前後関係の問題は解消するが、そのような恣意的な史料改変が妥当な判断か?
上述のような考察を踏まえ、丸山氏は、辛酉白鳳が正位置の候補として最も有力ではないか、としている。

果たして、「白鳳」という年号は実在したのだろうか? 
それとも笹山晴生『日本古代史講義』で解説されているように、「現実に白鳳の年号が行われたことはない」のであろうか?
もし、「白鳳」という年号が「現実に行われた」としたなら、それを発布したのは、『日本書紀』を編纂した権力、つまり大和朝廷とは異なるのだろうか?
大和朝廷とは別の年号発布権限を有する体制を想定するということになると、私たちの古代史像は、大きな変更を要請されることになる。

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コメント

最近珍しい書籍を教えてもらいました、ご存知かもしれませんが、紹介したいのですが。
安土桃山末期、江戸初めの1608年に、ロドリゲスというポルトガル人が日本に布教に来て30年ほど滞在し、日本語教科書を作るため、茶道を含む、日本文化を幅広く聞き書き収集して著した、「日本大文典」という印刷書籍です。400年前の広辞苑ほどもあるような大部で驚きです、さらに家康の外交顧問もしていました。特に銀山開発には家康はスペインからの技術者導入のために尽力しています。スペイン国王からは難破船救助のお礼に、「家康公の時計」をもらっています。
興味深いことに、この本の終わりに、当時ヨーロッパ外国人が聞き書きした、日本の歴史が記載され、この頃あった、古代からの日本の歴史についての考を知ることができる タイムカプセル でしょうか。これが戦国時代直後までの古代史の認識で、倭国年号が522年善記から大宝まで記載され其の後に慶雲以後の大和年号が続きます。明治以後にはこの歴史認識は失われてしまったようです。日本語研究書と見做され、日本大文典の倭国年号のこの内容は、実物を手に取った人にしか分からない状態になっています、ウィキなどにも倭国年号の存在は記載されていませんので、ぜひ一度手にとってご覧いただければ幸いです。
ついでに
倉西裕子著 『「記紀」はいかにして成立したか』 720年「日本紀」 を普通これは「日本書紀」と読み替える約束ですが、読み替えられない、別物という論証がされています。
宜しくお願いします。

投稿: いしやま | 2013年12月23日 (月) 04時47分

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