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2008年1月 9日 (水)

非常識な判決

福岡市で、2006(平成18)年8月25日に、元福岡市職員が起こした交通事故に関して、福岡地裁は8日、危険運転罪の成立を認めず、業務上過失致死傷罪を適用した判決を言い渡した。
その結果、求刑が懲役25年だったのに対し、判決は懲役7年6月となった。
これは、業務上過失致死傷罪の上限で、過失の大きさや結果の重大性、ひき逃げの悪質性などを勘案した結果であるという。
この地裁判断について、法曹界でも賛否両論あるようであるが、常識(コモンセンス)の問題として、とても首肯できるものではないと感じた。

私も、刑法の適用に関しては、構成要件は厳密に捉えるべきだし、そうあって欲しいと考えるものである。
しかし、今回の判決は、成文法の適用要件の解釈以前の事実認識において、重大な過誤があると考える。
それは、「酩酊度」と「判断力」と「運転能力」の関係についてである。
判決要旨(080109付静岡新聞による)は、飲酒状況と運転状況について次のようにいう。

……被告は二軒の飲食店で飲酒後、運転を開始した時に、酒に酔った状態にあったことは明らか。しかし、その後の具体的な運転操作や車の走行状況を離れて、運転前の酩酊状態から直ちに「正常な運転が困難な状態」にあったという結論を導くことはできない。
(中略)
被告は事故直後、ハザードランプをつけて降車したり、携帯電話で友人に身代わりを頼むなど、相応の判断能力を失っていなかったことをうかがわせる言動にも出ている。飲酒検知時も千鳥足になったり足がもつれたりしたことはなく……(以下略)
(中略)
被告は二軒目の飲食店を出発して事故後に車を停止させるまでの約八分間、湾曲した道路を進行し、交差点の右折左折や直進を繰り返した。幅約二・七メートルの車道でも車幅一・七九メートルの車を運転していた。
(後略)

私たちの世代の多くの人は、若い頃(つまりもう時効になっている時期)に、多少の飲酒運転の経験を持っているだろうが、おそらく多くの人が、この地裁判断に違和感を持ったのではないか、と思う。
判決が「正常な運転が困難な状況にあったとは認められない」とする論拠が、飲酒運転の経験則に全く合致していないからだ。
おそらく、福岡地裁の裁判長は、職業柄もありかつ年齢的にも(実際の年齢は分からないが、私たちよりはかなり若いのだろうと思う)、飲酒運転の経験などは皆無なのではなかろうか。

飲酒運転を自覚している場合、運転者はどう行動するか?
私の経験では、全神経を集中して運転する。それは、飲酒していない場合に比べてはるかに慎重だともいえる。
裁判長は、危険運転罪の構成要件を、そのような判断すらもできない状態と考えたのであろうか?
それは「酩酊」というよりも「泥酔」とか「意識混濁」というべきものである。
「高度に酩酊した状態」であったとしても、瞬間的な判断はある程度正常にできるのである。
湾曲した道路を進行し、交差点の右折左折や直進を繰り返すことなど、相当に酩酊していたとしても、ほとんど問題なくクリヤできるだろう。
私の場合、もちろん、飲酒運転の事故歴などは皆無である。

しかし、酩酊状態においては、確率的には、事故を起こしやすくなっていると考えるべきだろう。たとえ慎重になっていたとしても、である。
福岡の事件で、事故を起こすまで、被告が「正常に見えるかのような運転」をしていたのは、そう見えただけで結果的に事故を起こしているわけである。
「携帯電話で友人に身代わりを頼む」ことなどを、相応の判断能力を失っていなかったことの論拠とする辺りは、唖然という感じである。
これでは、隠蔽工作を奨励しているようなものではないか。

私は、少なくとも四半世紀程度は、飲酒運転はまったくしていないが、「高度に酩酊した状態」になること自体はしばしばある。
そして、その時の記憶は、往々にして途切れている。
しかし、後から一緒に居た人の話を総合すると、(多くの場合は何らかの議論をしているのであるが)日頃の考えと殆ど同じことを喋っているようである。

最近の世論は、飲酒運転について厳しいものになっている。
元福岡市職員の起こした事故について、感情論的にとても許されない、というのが一般的な意見だろう。
裁判長としては、あるいは、こういう世論に流されない、ということを1つの司法的見識として示そうと考えたのかも知れない。
そして、その結果として、危険運転罪の構成要件を厳密に解釈し、「疑わしきは罰せず」という法理に従ったのかも知れない。

もちろん、「飲酒量」と「酩酊度」の関係については、個人差もあるし同一人であっても、その日の体調や気分によってかなり差異があることは、酒飲みの常識である。
この事件の被告が、実際にどういう酩酊状態にあったのか、本人や裁判長を含めて、正確な判断を下せる人間はいないと考えるべきであろう。
しかし、判決が「正常な運転が困難な状態にあったとはいえない」と判断する論拠は、飲酒運転の経験と相容れないものであることは間違いない。
報道されている飲酒量(少なくとも二軒の飲食店で何杯もの焼酎のロックやブランデーの水割り等を飲酒)からしても、「高度に酩酊していた」と判断するのが妥当だと考える。
こういう判決を書く裁判長がいるようでは、司法修習の一環に、酩酊運転の体験を組み込んでみたらどうか、とすら思うくらいだ。

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