「九州年号」論
江戸時代の国学者に、鶴峰戊申という人がいる。
豊後国臼杵(現大分県)に、天明8(1788)年に生まれ、江戸で安政6(1859)年に享年72歳で死んだ。『襲国偽僣考』、『国偽僣考』、『金契木文字考』、『嘉永刪定神代文字考』、『天御柱考証』、『古義神代考』、『本教異聞』、『語学新書』、『臼杵小鑑』、『海防秘策乾巻』、『中将棊絹篩』など数多くの著作を残した。
『襲国偽僣考』で、鶴峰戊申は「九州年号」という言葉を使い、大和朝廷の年号に先行する年号の存在を説いた。
松尾幹之『邪馬台・俀国はどこか』暁印書館(0012)は、「九州年号」について、以下のように記す。
鶴峰戊申は九州年号を襲国の年号とし、襲国の最終的な滅亡を、養老四年(七ニ○年)のいわゆる宇佐八幡の放生会のはじまる、日向・大隈の反乱の時期まで繰り下げている。他方、いわゆる磐井の後裔をもって九州王朝(倭)としている多くの論者は、その最終滅亡の時期を、その年号の終わりの七世紀末としている。結論的に鶴峰戊申は「朝廷でまさしく年号を立てられたのは、この大宝が初めて、これより以前の年号は九州年号とたがいに入り乱れたのである。白鳳と白雉と、朱鳥と朱雀とは義相が近く、大化と大和とは音相が同じであることを考えてみることである」としている。しかし、九州年号を使用した遺物が殆どと言って良いほど、まだ発見されていないので、九州年号は或いは後人の作為ではないかとみなす意見も少なくない。
『市民の古代』という古田武彦氏の古代史論考を支持していたグループの編集していた雑誌がある。
発行元は「市民の古代研究会」というサークルである。
1977(昭和52)年に、「古田武彦を囲む会」というサークルとして発足し、1983(昭和58)年以来、「市民の古代研究会」として『市民の古代』を編集発行してきた。
1989(平成8)年10月発行の第11集(新泉社発行)は、『「九州年号」とは何か』を特集している。
この雑誌に、『「九州年号」目録』という資料が載っている。
この資料では、「九州年号」を次の2種に区分している。
第一種「九州年号」
善記より大長までの32年号から、第二種の5年号を除いた27年号
つまり、特別扱いとされたものを除いたものであるから、特別扱いについて見る必要がある。
第二種「九州年号」の説明文を引用する。
第二種「九州年号」
大和朝廷の、いわゆる「正史」に記述のある「白雉・白鳳・朱雀・朱鳥・大化」の五年号だが、一連の「九州年号」なのか、「正史」の影響下に生じたものなのか、判断が困難である。そこで第一種とは一応切り離して考えなければ混乱をきたすとの見地から、これら五年号を第二種と仮称する。この第二種は同時に多くの問題をも含む。その一つは、第一種のような仏教年号とは一転して、瑞祥嘉号であること。そのニは年代に異説が多く、かなり乱れが生じていること。その三は、白鳳だけが異常な長さを有していること。その四は朱鳥が「九州年号であるかどうか疑問であること(丸山晋司氏による)。その五は白鳳以下は九州王朝滅亡後の唐支配下における年号と思われるが、どのような事情で年号が持続せられたのか。その六は大和朝廷の記す大化とは全く異なる時期に、大化が存在すること。等々。今後の体系的な研究と解明に期することとしたい。
この第二種「九州年号」の記載されている史料を、驚くほど多数収集しているのであるが、編者らはなお「探索が限定されている」としている。
以下では、第二種「九州年号」の見出しだけ抜粋してみることにする。
A.白雉(白智)<壬子・孝徳8・652>9年間-原形か- [異説]<庚戌・孝徳6・650>-『紀』の影響か-
B.白鳳(1)<辛酉・斉明7・661>-原形か-
C.白鳳(2)<壬申・弘文1・672>あるいは癸酉・天武1・673>-『紀』の影響か-
D.朱雀<甲申・天武12・684>一説に<壬申・672>
E.大化(1)<乙巳・孝徳1・645>-『紀』の影響か-
F.大化(2)<丙戌・天武14・686>一部に<乙未・695>とするものも有り。-原形か-
G.朱鳥(丙戌・天武14・686>一部に<甲申・684>とるすものも有り。
オーソドックスな歴史学会では、「九州年号」は否定的な扱いを受けている。
しかし、数多くの史料が存在していることは、何らかの史実を反映したものと考えたほうが妥当なように思われる。
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