砂川史学…⑤大海人皇子(5)
『万葉集』1-27に、次の歌がある。(佐々木信綱編『新訂 新訓・万葉集〈上〉』岩波文庫(2709)
天皇、吉野宮に幸しし時の御製の歌
淑き人のよしとよく見てよしと言ひし芳野よく見よよき人よく見つ
紀に曰く、八年己卯年庚申朔甲申、吉野宮に幸しきといへり。
『日本書紀』の天武紀八年の条には、次のようにある(ワイド版岩波文庫)。
五月の庚辰の朔甲申に、吉野宮に幸す。乙酉に、天皇、皇后及び草壁皇子尊・大津皇子・高市皇子・河嶋皇子・忍壁皇子・芝基皇子に詔して曰はく、「朕、今日、汝等と倶に庭に盟ひて、千歳の後に、事無からしめむと欲す。奈之何」とのたまふ。
いわゆる「吉野の盟約」の記事である。
上記の万葉歌は、天武天皇の歌ということになるが、その意味がよく分からない歌として知られている。
「よき」「よし」を繰り返す言葉遊びに過ぎないようにも感じられる。
砂川氏は、これを、近畿天皇家に対して大海人皇子が倭国の一員として、倭・百済連合軍の戦いに参加して欲しいと要請したことが成功したことを詠んだものではないか、とする。
いい人がいて(淑き人の)、九州王朝の要請を理解してくれて(よしとよく見て)、軍隊派遣を賛成してくれた(良しと言ってくれた)。いい人に巡り会うことができたものだ(よき人よく見つ)
ところで、大海人皇子は、天智紀の3年2月条、7年5月条、8年5月条等において、「大皇弟」と表記されている。
そして、「大皇弟」と表記されるのは、大海人皇子のみである。
「大皇弟」とは、「大いなる天皇の弟」の意味であると考えられるが、天智3年には中大兄はまだ即位していない。
「皇太子の弟だから大皇弟と表記された」というのは不自然である。
天武即位前紀には、「天命開別天皇(天智天皇)の元年に、立ちて東宮と為りたまふ」とあり、四年「十二月に、天命開別天皇崩りましぬ」とある。
『日本書紀』本文では、天智即位年は天智七年の戊辰年とされている。
天智崩御は天智十年の辛未年だから、上記の「四年十二月」は辛未年であり、天智七年の戊辰年を「元年」とした数え方になる。
7(元)戊辰→8(2)己巳→9(3)庚午→10(4)辛未
つまり、大海人皇子が「立ちて東宮と為りたまふ」とされているのは、天智七年の戊辰年ということになる。
中大兄が皇太子の時には、大海人皇子を「中大兄皇子の東宮(皇太子)」と呼ぶことはあり得ないから、天智即位年に「立ちて東宮と為りたまふ」は当然のことである。
とすると、、「大海人皇子(2)」の項に記したように、天智紀の「三年春二月の己卯の朔丁亥に、天皇、大皇弟に命して」という表記された「大皇弟」には、「太子(ヒツギノミコ)」や「東宮」という意味はない、とすべきではないか。
坂本太郎他校注では、天智三年二月条の「大皇弟」に「ひつぎのみこ」という訓がふられているが、それは後代になってからの解釈で、『日本書紀』の記述でも、天皇に即位するまでの中大兄皇子の表記は、いずれも「皇太子」となっている。
天智三年二月条に、「天皇」と表記されているのは、「大皇弟」という表記との位取りを合わせるためで、大海人皇子を大皇弟と表記し、中大兄皇子を皇太子と表記したのでは位取りがおかしくなるためである。
大海人皇子を「大皇弟」と表記するために、中大兄を天皇と表記したとすると、なぜ天智三年の時点で、大海人皇子を「大皇弟」と表記しなければならなかったのか?
中大兄の表記を、わざわざ天皇に変更してまで「大皇弟」という言葉を使ったのは、大海人皇子が既に「大皇弟」と呼ばれていたと考えるべきであろう。
それでは、大海人皇子は、なぜ、既に「大皇弟」と呼ばれていたのか?
大海人皇子が九州王朝の皇子であるとすれば、「大皇」という呼称・表記が、そのときの九州王朝の王の呼称ではなかったのか?
「大皇弟」は、「大いなる皇弟」ではなく、「大皇の弟」の意味だと考えるべきだ、というのが、砂川氏の推論である。
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