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2008年1月18日 (金)

砂川史学…④大海人皇子(4)

天武天皇と九州王朝―古事記・日本書記に使用された暦 』新泉社(0612)という著書のタイトルが示すように、砂川恵伸氏の論考は、古田武彦氏の「九州王朝説」の影響下にある。
古田氏の第二書『失われた九州王朝』朝日新聞社(7308)に接し、「それまで不透明で謎だらけであった日本古代史が澄み渡るような感じを受けた」として、以下の項目を挙げている。

①従来の近畿天皇家一元史観では、誰に比定してもしっくりこない「倭の五王」問題。
②隋書には、七世紀初頭の倭国に君臨した「阿毎足利思比(北)孤」という王者が記載されているが、近畿天皇家による日本側文献にはそのような王者は存在しないこと。
③白鳳・朱雀を初めとする多くの逸年号・九州年号といわれる不思議な年号の存在。

砂川氏は、『失われた九州王朝』により、早晩、日本古代史の書き換えが起きると考えた。
しかし、同書が刊行されてから、既に35年間が過ぎようとしているが、日本古代史は以前として、近畿天皇家一元史観が通説としての立場を保っている。
砂川氏は、九州王朝説を信じつつ、そのウィークポイントとして以下を挙げる。

①何故、七枝刀は石上神宮にあるのか?
②何故、法隆寺釈迦三尊像は法隆寺にあるのか?
③日本書紀に記述されている対朝鮮交渉史は、そのほとんどが九州王朝の対朝鮮交渉史であるはずなのだが、それを近畿大和の対朝鮮交渉史として、何故、あれほど克明に記述することができたのか?

九州王朝が実在したのならば、百済王から九州王朝の王に贈られた七枝刀や、出家して法皇となった九州王朝の王をかたどった法隆寺釈迦三尊像は、九州に存在しなければならない。
九州に存在しないのであれば、紛失あるいは焼失したという状況証拠が欲しい。

これらの諸点に関し、砂川氏は、「これらを九州から大和に運びこんだのは大海人皇子であり、大海人皇子は近畿天皇家の皇子ではなく、九州王朝の皇子である」という1つの解に辿りついた。
砂川氏は、『筑前国風土記』宗像郡の条に記された次の説話を紹介している。

其の大海命(オオアマノミコト)の子孫は、今の宗像朝臣等、是なり。云々

「大海命の子孫は今の宗像朝臣等である」というのは、「天武天皇の子孫は……」というように解釈されるし、されてきた。
しかし、それならば、なぜ、「天武天皇の子孫は……」と記述しないのだろうか?
一般論として考えれば、天皇が祖先であるならば、その天皇の即位以前に生まれた子の子孫であったとしても、「○○天皇の子孫」と書いた方が家格は高くなるから、そう書くはずである。
それがそうなっていないことの理由を、砂川氏は次のように説明する。

九州筑紫に皇子としての大海命がいた。九州王朝の皇子の1人である。
しかし、大海命は九州では大王になれなかった。その後、大海命は九州を離れ、近畿大和で天智天皇のあとに天武として天皇になった。
九州に取り残された子孫はそれを知らなかったか、知っていても九州在住の九州王朝の者の眼からすれば、近畿大和の天皇は格の低いものだった。
そのため、自らの系譜を、「天武天皇の子孫」と改めず、「其の大海命の子孫」のまま伝承した。
そして、天皇の呼称が日本の支配者の呼称であるという認識が九州に浸透する前に、筑前国風土記に収録された。

『日本書紀』が、大海人皇子(天武天皇)の妃の1人に、「胸形君徳善の女(ムスメ)尼子娘」がいたとしていることは既述の通りである。
この胸形君徳善は、現在の福岡県宗像市の辺りにいた有力者であると想定される。
九州王朝の皇子・大海人皇子は、白村江の戦いの際に、本拠地の筑紫に留まっていた。
そこへ、倭・百済連合軍の潰滅的敗北の報が届く。
唐・新羅連合軍が攻めてくるかもしれないが、それを迎撃する兵力は筑紫には残されていない。
そこで、大海人皇子は、九州王朝の宝物一切を帯同して、近畿大和へ逃げた。七枝刀や対朝鮮交渉史の史料等である。
法隆寺釈迦三尊像は、大海人皇子が天武天皇になってからか、持統天皇の時代に九州から運びこまれたのだろう。

斉明7(661)年正月に、大田皇女が臨月だったとすれば、妊娠したのは斉明6(660)年3月頃ということになる。
斉明6年春、九州王朝の皇子・大海人皇子は、倭国(九州王朝)の同盟軍として近畿天皇家に軍隊を派遣するよう要請するため、九州王朝の「大使」として、近畿天皇家を訪れた。
そのとき、近畿天皇家の皇太子・中大兄皇子の娘の大田皇女がもてなしのため差し出されたのではないか。
その結果が、大田皇女の妊娠で、筑紫に戻った夫・大海人皇子を訪ねるため、大田皇女は斉明の百済救援の軍団に同行した。
そして、難波出航の2日後、岡山県の大伯で大伯皇女を出産した。

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