砂川史学…①大海人皇子(1)
記・紀に登場する「歳次干支」の語を分析した砂川恵伸さんは、第二著として『天武天皇と九州王朝―古事記・日本書記に使用された暦 』新泉社(0612)を上梓している。
タイトルが示すように、古田史学の九州王朝説を踏まえているが、独自の視点を盛り込んだ新しい史観を生み出している。
古田史学に倣えば、砂川史学とでも呼ぶべき内容だと思われる。
以下、いくつかのポイントについてレビューしてみたい。
第一点は、大海人皇子(天武天皇)に関する考察である。
『日本書紀』の記述においては、大海人皇子(天武天皇)と中大兄皇子(天智天皇)は、舒明天皇と皇極(斉明)天皇の間に生まれた同父同母の兄弟とされている。
もちろん、この天智・天武兄弟説が学界の定説であり、多数説である。
しかし、この同父同母の兄弟関係を疑う論説も少なくない。
大海人皇子の出自については、不明のことが多い。
『日本書紀』では、乙巳の変や白村江の戦いなどの重要局面で、大海人は登場していない。
大海人皇子が活躍が目立つようになるのは大津遷都以後であるが、不思議なことに出生や年齢は不詳である。
しかも、『日本書紀』の編纂は、天武の発案になるとされている。
神武から持統までの40代(弘文天皇を入れれば41代)の天皇が登場しているが、年齢が不明なのは天武だけである(もちろん、一方では、古代天皇の年齢については不自然な記述が少なくなく、その点についても数多くの論議がある)。
天武の年齢が書かれていないのは、『日本書紀』の編者がそれを意図的に隠したのではないか、という見方がある。
そして、天智と天武は、実際は兄弟ではなかったのではないか、と推測している論者も少なくない。
『日本書紀』では、天武を天智の弟としたため、年齢に齟齬を生じて書き込むことができなかったのではないか、とも推測される。
実際に、『本朝皇胤紹運録』という本の記述等を根拠に計算すると、弟だとされている天武の方が年上になる、という有力な説がある。
また、天武が天智の娘を4人も妃としていることも不自然といえば不自然であろう。
そのため、大海人皇子については、戦勝国の新羅から戦後処理のために、日本に派遣されたのではないか、とする見方がある。
壬申の乱において、天皇の正当な後継ともいうべき近江京の軍勢に対して、余りにも鮮やかに勝利したことは、天武が土着の日本人ではなかったのではないか、と疑わせる点である。
天智の親百済政策から、天武は親新羅政策に転換したともされている。
天武の出自に関する諸説を、砂川氏の上掲書から引用する。
佐々克明…「天武=新羅人の金多遂」説
水野 祐…異母兄弟説
小林惠子…「天武=高句麗の宰相・淵蓋蘇文」説
大和岩雄…異父兄弟説(高向王と宝皇女<後の皇極天皇>との間の子の漢皇子説
井沢元彦…異父兄弟説(宝皇女と外国人との間の子説)
砂川史学の刮目すべき点の第一は、大海人皇子が、九州王朝の皇子であった、とすることである。
『日本書紀』は全30巻のうち、28、29の2巻を天武天皇にあてている。このような扱いは、天武だけであるし、その記述量は、天武が最大である。
砂川氏の上掲書によりそのボリュームを比較すると、下記の通りである(『日本書紀』(普及版、吉川弘文館、1982年における記述行数)。
第1位:天武 687行
第2位:欽明 445行
第3位:孝徳 375行
第4位:持統 336行
第5位:雄略 310行
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