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2007年12月25日 (火)

当麻寺…②小林秀雄

小林秀雄に『当麻』という小品がある。
昭和17(1942)年4月号の「文学界」に発表された。
小林秀雄は、昭和4(1929)年、雑誌「改造」の募集した懸賞論文に『様々なる意匠』を以て応募した。
自分の1位当選を確信していて、それを材料に借金を重ねていたという逸話が残っている。
審査の結果は、小林の思惑と異なり、1位には宮本顕治の『敗北の文学』が選ばれた。
昭和2(1926)年に自殺した芥川龍之介を論じた作品である。

余談ではあるが、宮本顕治も今年の7月18日に物故した。
戦前・戦中の12年間を獄中で過ごし、少なからぬ転向者を出した戦前からの指導層の中で、信念の強さが際立っていた。
そのことが共産党内でのカリスマ性を高め、戦後40年にわたって日本共産党の最高指導者の位置を維持した。
対立分子を容赦なく除名処分して「宮本独裁体制」を築き上げた手法は、外部から見るといささか馴染みにくいものではあるが、革命政党としては当然のこととも言えよう。
それにしても、今の時点で振り返ってみれば、「改造」の懸賞論文は随分豪華な応募作品に恵まれたことになる。

ともあれ、『様々なる意匠』によって、小林秀雄は商業文壇へのデビューを果たした。
同時に、それは、小林の「近代批評」宣言でもあった。
文芸批評が、個人の嗜好の押し付けか、マルクス主義等の公式の適用かのいずれかでしかなかった状況に対し、文学が言葉による自意識の表現であることを確認し、批評もまた批評する者の自意識の表現でなければならない、と論じたのだった。

批評の対象が己れであると他人であるとは一つの事であつて二つの事でない。批評とは竟に己れの夢を懐疑的に語る事ではないのか!

小林秀雄には、直観的・天才的な印象を受ける。
しかし、厳しい自己鍛錬の結果獲得し得た天才だったと考えるべきだろう。
文壇デビューを果たしてから、「文藝春秋」や「東京朝日新聞」などに文芸時評を執筆した。
しかし、時評という枠の中で、何ほどの「己れの夢を懐疑的に語る」ことができるであろうか?
昭和10(1935)年の1月から、「文学界」に『ドストエフスキーの生活』の連載を始める。
文学・芸術の天才を対象とすることで、「己れの夢を懐疑的に語る」ことを芸術として確立させることの試みたのだった。

昭和16(1941)年、東亜・太平洋戦争が始まる。
小林秀雄は、文芸時評と手を切り、陶器や仏画など、古美術の世界に沈潜する。
「文学界」に連載した『当麻』『無常といふ事』『徒然草』などは、日本の古典をフランス文学で鍛えた批評眼を以て論じた作品である。
中でも、『当麻』は、この時期における小林秀雄の代表作の一つとして位置づけられるだろう。
世阿弥の芸術論に託して、彼の芸術認識を語ったものだ。

梅若の能楽堂で、万三郎の当麻を見た。
僕は、星が輝き、雪が消え残った夜道を歩いてゐた。何故、あの夢を破るような笛の音や大鼓の音が、いつまでも耳に残るのであらうか。
……
してみると、自分は信じてゐるのか、世阿弥といふ人物を、世阿弥といふ詩魂を。突然浮んだこの考へは、僕を驚かした。

能の世界のことはよく知らない。
しかし、能の世界における中将姫の姿を通じて、人間の観念(つまりは、「様々なる意匠」)を裁断しているように思える。

音楽と踊りと歌との最小限度の形式、音楽は叫び声の様なものとなり、踊りは日常の起居の様なものとなり、歌は祈りの連続の様なものになつて了つてゐる。そして、そういうものがこれでいいのだ、他に何が必要なのか、と僕に絶えず囁いている様であつた。音と形との単純な執拗な流れに、僕は次第に説得され征服されて行く様に思へた。最初のうちは、、念仏僧の一人は、麻雀がうまさうな顔付きをしてゐるなどと思つてゐたのだが。

中将姫のあでやかな姿が、舞台を縦横に動き出す。それは、歴史の泥中から咲き出でた花の様に見えた。人間の生死に関する思想が、これほど単純な純粋な形を取り得るとは。僕は、かういふ形が、社会の進歩を黙殺し得た所以を突然合点した様に思つた。要するに、皆あの美しい人形の周りをうろつく事ができただけなのだ。あの慎重に工夫された仮面の内側に這入り込むことは出来なかつたのだ。世阿弥の「花」は秘められてゐる、確かに。

世阿弥が美といふものをどういふ風に考へたかを思ひ、其処に何の疑はしいものがない事を確かめた。「物数を極めて、工夫を尽くして後、花の失せぬところを知るべし」。美しい「花」がある。「花」の美しさといふ様なものはない。彼の「花」の観念の曖昧さに就いて頭を悩ます現代の美学者の方が、化かされてゐるに過ぎない。肉体の動きに則つて観念の動きを修正するがいヽ、前者の動きは後者の動きより遥かに微妙で深淵だから、彼はさう言つてゐるのだ。

全文を書き写してもいい程度のボリュームであるが、多くの批評家・評論家が、戦争追随的文章を発表していた時代、古典と格闘して自らの認識力を鍛える道を択んだ小林秀雄は、やはりホンモノだったと思わざるを得ない。

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