有季定型インフラ論
「有季定型」という俳句の基本的性格をどう考えたらいいのだろうか?
それは俳句の俳句たるゆえん、言い換えれば「俳句性」の本質を問うものであって、数多くの論考がなされてきたが、おそらく永遠の問いに属するものであろう。
もちろん、私ごときが何かを言うような問題ではないが、有季定型は俳句のインフラではないか、ということを思いついた。
インフラとは生活を規定する下部構造である。その下部構造を土台として、多様な生活が営まれる。
同じように、有季定型というインフラの上に多様な俳句表現があるのではないのだろうか?
もちろん、インフラが整備されていなくても、生活を営むことができる。
しかし、インフラ次第で生活のあり方は大きく変わる。
インフラが整備されれば、生活の利便性が向上する。
同じように、有季定型を活用することによって、文芸表現の利便性が向上したのではないだろうか?
似たような趣旨のことは多くの人が説いてきたことかも知れない。
しかし、有季定型がインフラだ、という言い方をした人は今までいないと思う。
国土交通省の河川局長といえば、公共事業の元締めのようなイメージがある。
もちろん、河川に係わる事業は公共性が高いから、古くから為政者の大きな関心事であったことは間違いない。
水を治めるものは、国を治めるという言葉がそれを表現している。
また、世界の四大文明が、いずれも大河川の沿岸で発祥したことからも、河川と人間の営みとの係わりは古くかつ深いことが理解できる。
だから、河川技術者には、文明史への関心を持つ人が多いのではないか、と思う。
1999(平成11)年に河川局長に就任し、2002(平成14)年に退官した竹村公太郎さんもその1人である。
竹村さんは、旧建設省に入省以来一貫してダム・河川行政に携わってきた。
特に、1991(平成3)年に長良川河口堰の担当になってから、市民団体やマスコミに対応することが多く、社会資本整備の意義について、数多くの発言をしてきた。
河川局長時代に「建設オピニオン」という雑誌に連載していた文章を再編集して、『日本文明の謎を解く―21世紀を考えるヒント 』清流出版(0312)という著書にまとめた。
公共事業という社会インフラが、日本文明の形成の中で果たしてきた役割について論じたものである。
これからの時代、人類は、地球温暖化や資源の枯渇や人口の急増など、今まで経験したことのないような難問に向き合わざるを得ない。
そのような時代を、われわれはどのように生き延びればいいのか? また、生き延びるためには、何をしたらいいのか?
その問いかけが、人類の築いてきた文明、とりわけ日本の文明に対する関心となった。
竹村さんの視点は、仕事柄「社会インフラ」に注目するものである。
日本人の生活を土台で支えているのが社会資本であり、社会資本のあり方が文明の生い立ちと現在のありさまを規定していると考えるものである。
近著の『幸運な文明―日本は生き残る 』PHP研究所(0703)の「はじめに」に以下のような文章がある。
人々の文明を支えているのは、実は目に見えない下部構造である。この下部構造は、気象と地形の上に構築されている。日本の気象と地形と見詰めていけば、文明の下部構造が解明でき、さらに、その下部構造に支えられた文明の上部構造に肉薄できる、という思いであった。
この部分を読んで、ハタを膝を打つ思いがした。
「気象」と「地形」が複合して、「風土」が形成される。
日本に固有の風土は、まさに「気象」と「地形」がもたらすものだろう。
この、「気象」と「地形」は、ちょうど俳句における「季語」と定型」に対応するものではないのだろうか?
「『俳句とあそぶ法』…③季語(11月29日の項)」で紹介したように、BAIU(梅雨)という言葉は国際気象用語になっているというが、日本の「気象」は、日本に独特のものであり、かつ季節の移り変わりと密接に関係している。
また、地形は、土地の姿・形であって、俳句表現のでいえば五七五という形に相当するのではないか。
有季定型がインフラだと言っても、だから何だ、ということかも知れないが、インフラだとすれば積極的に活用すればいいのではないか、ということになる。
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