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2007年12月24日 (月)

当麻寺…①二上山

小学館から「古寺を巡る」というシリーズが週刊で刊行されている。
11月20日発行の第40号は、「當麻寺」である(以下「当麻寺」)。
中将姫(8月29日の項)の伝承で知られる古刹だ。
毎年、5月14日には、中将姫が生身のまま往生したという伝説を再現する「練供養:聖衆来迎練供養会式」が行われ、賑わいを見せる。

練供養は一種の野外宗教劇で、25菩薩らの聖衆が来迎し、姫を極楽浄土へ導くさまを演じる。
午後4時ごろから「お練り」が始まり、中将姫が極楽往生を遂げる様子が再現され、観客は宗教的な高揚感に浸る。
姫が極楽往生を遂げようとする頃に、日は西に傾いて、二上山に沈んでいく。
この山の向こうには、西方極楽浄土があると信じられていた。

二上山の南の竹内峠を、わが国最古の国道と呼ばれている竹内街道が通っている。
難波から南下し、堺市で東に折れ、竹内峠を越えて飛鳥に入る。
遣隋使や遣唐使、あるいは中国や朝鮮半島から先進の文物を携えた渡来人も通った道である。
二上山の山頂には、天武天皇の子で謀反の疑いをかけられ自害させられた大津皇子の墓がある。

大津皇子は大海人皇子(天武天皇)の子であったが、大津宮では天智天皇に愛されて育った。
風格も優れ、言語明朗、漢詩文を好むなど学問好きで、成長するに従い、才能を開花させていった。
特に文筆に秀でたものがあったという。
大津皇子が21歳になった時、初めて「朝政を聴こしめす」と『日本書紀』にある。
天武天皇政権の中心的な立場に立って、政治の指示を出す役割を持っていたと推測される。

2_2天武天皇が崩御した翌月、川島皇子の密告によって謀反の疑いをかけられ、翌日に訳語田の家で自害させられた。
24歳の若さであった。
鵜野讃良皇后(後の持統天皇)が、自分の実子の草壁皇子を次の天皇にするためにはかったことだとも言われているがるが謎が多い(8月31日の項9月1日の項)。
草壁も皇位に就くことなく2年後には亡くなっている。
この世のことは夢幻である。

大津皇子の妃の山辺皇女が、裸足で髪をふり乱して駆けつけ同日殉死したと伝えられている。
大津皇子の墓所は不明であるが、姉の大伯皇女が次の歌を残していることから、二上山に葬られたと推測されている。

うつそみの人なる吾や明日よりは二上山を弟背と我が見む

折口信夫は、中将姫の伝承と大津皇子の悲劇を結びつけて、『死者の書』という不思議な書を書き上げた(8月28日の項)。
二上山に沈む夕陽を愛する古代史ファンは多い。

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