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2007年12月 9日 (日)

論争と思考技術

思考は、ビジネスの場だけでなく、日常生活においても常に行っていることであるが、成熟社会化の進展によって、ビジネスにおける思考技術の重要性は益々高いものになっている。
高度成長期のように、KKD(勘と経験と度胸)で勝負するというわけにはいかない。
しかし、思考のプロセスは目に見えないものだから、思考技術を学習することは容易ではない。
私は、思考技術(コンセプチュアル・スキル)を学ぶための格好の材料として、論争があるのではないかと考えている。

第一に、論争は、対立する「ものの見方・考え方」がぶつかり合うものであるから、対象としているものの本質を考える上で、参考になることが多いはずである。
第二に、論争は文章の「やりとり」等を通じて行われることが多いから、論争当事者の思考のプロセスを窺い知ることができる。
「第二芸術論」をめぐる論争や「鶏頭論争」を初めとして、俳句を巡る論争も数多く存在しているが、例えば松本健一執筆代表『論争の同世代史』新泉社(1986)には、「アナ-ボル論争」から「吉本-埴谷論争」まで、54の論争が取り上げられている。

「吉本-埴谷論争」の一方の当事者である吉本隆明は、まさに論争者ともいうべき評論家である。
54の論争のうち、実に以下の8つの論争の登場している。
①文学者の戦争責任論争(S21~31年)
②共同体論争(S31年~)
③戦後文学論争(第一次)(S32~38年)
④吉本-岡井論争(S32年)
⑤花田-吉本論争(S33~35年)
⑥「転向」論争(S33~37年)
⑦文学者の「反核」をめぐる論争(S57年)
⑧吉本-埴谷論争(S60年)

論争名に論争当事者の名前が冠せられているのは、上記以外では「山川-福本論争」「野呂-猪俣論争」「太宰-志賀論争」「志賀-神山論争」だけであるから、吉本隆明の論争史における位置づけは際立っているといってよい。
上記の論争の中で、最も論評される機会が多かったのは「花田-吉本論争」であろう。
吉本隆明の相手となった花田清輝は、京都帝国大学文学部に入学し、滝川事件の際は、処分反対派の学生グループの中心として活動した。
大学を中退して、「軍事工業新聞(現在の日刊工業新聞)の記者などを経験し、時流に距離を置いた発言をしていた。
戦後、日本共産党に入党するが、1961年に除名処分を受ける。
日本のアヴァンギャルド芸術論のさきがけで、安部公房や岡本太郎などに影響を与えた。

花田清輝は1909年生まれ、吉本隆明は1924年生まれで15歳の年齢差があり、それが戦争体験に大きな違いをもたらした。
文学者の戦争責任を厳しく追及(上記①の論争)していた吉本隆明を、花田清輝は「戦争中のファシストが、十分な自己批判することなしに、戦後自由主義者に転向したもの」と批判した。
吉本自身が、「戦争中は軍国少年だった」としているのだから、花田の批判は必ずしも的外れとも言えないが、吉本世代が戦争の現実に受動的に向き合わざるを得なかったのに対し、花田世代はもっと主体的に向き合えたのではないか、という吉本の意識が、激烈な花田批判となった。

この論争の意義について、磯田光一は、「戦後文学史上もっとも重要な論争のひとつ」(『吉本隆明論』審美社(1971))と評価しているが、『論争の同世代史』の担当筆者である菊田均は、「意外に無内容なのに驚かざるを得ない」とする。
これに対し、編集者的格の松本健一は、「戦前と戦後を結ぶ最大の論争」として、菊田評価に異を唱えている。
論争の勝敗に関しても意見は分かれる。
小浜逸郎は、「誰が見ても勝敗は明らか」と吉本の一方的勝利と判定するが、好村富士彦は、花田清輝の「負けるが勝ち」という戦略が見事に成功した、とみる。
論争の評価は難しいが、それを自分で考えてみることが、思考技術の練習問題になるのではなかろうか。

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