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2007年12月 8日 (土)

血脈…②水上勉-窪島誠一郎

江国滋-香織の父娘については、父の才能が娘に伝わることに余り違和感はないと書いた。
しかし、「無言館」館主の窪島誠一郎さんと作家水上勉の場合は事情が異なるだろう。DNAだとか遺伝子というものが実在し、それが実際に人の才能や気質を支配しているのだ、ということを感じざるを得ない。

去年の夏、上田市郊外に建つ「無言館」を訪ねる機会があった。戦没画学生の遺作や遺品を展示している施設だ。
ちょうど、小泉元首相が、8月15日に靖国神社への参拝を強行し、内閣総理大臣と署名した時だったので、戦没ということや戦争責任の問題に関して、敏感にならざるを得ない時期でもあった。
画学生たちの戦没の日付を見ていると、たとえ開戦が不可避であったとしても、もっと早く終結させることはできなかったものか、と思わざるを得なかった。

始めるよりも終わらせる方が難しいのは物事の常とも言えるが、開戦に際して戦争指導者はどのような終戦シナリオを想定していたのだろうか。
余り深く調べたわけではないが、初戦を頑張れば何とかなるだろう、というような客観性に欠ける楽観的な判断が支配的だったように思われる。
戦争指導者が問われるべきは、開戦責任はもちろんのことであるが、敗戦の時期を遅延させて、被害を増大させてしまったことはもっと大きな責任なのではないだろうか。

私たちの世代は、直接的には「戦争を知らない」。
しかし、戦争の影響は心身に刻み込まれているともいえる。何よりも、私たちの人生は、「戦後」という時代とほとんどオーバーラップしているのだ。
戦後史の画期は、私たちの人生の節目でもあることが多い。
そして、戦後とは、当然のことながら、戦争があったからこそあった時代だ。
だから、無言館で、戦没画学生の遺品や遺作を目にすると、自ずと文字通り無言になってしまう。

無言館は、窪島誠一郎さんが個人で経営している私設美術館である。
窪島さんが、作家水上勉の実子であることは、雑誌か新聞で読んだことがあったのだが、実際に無言館を訪れるまで、意識の底に眠っていた。
無言館を訪れて、窪島さんの文章の中に水上勉の名前を見たとき、その眠っていた記憶が呼び覚まされた。
帰ってから、窪島さんの書いた本を何冊か読んで、その数奇な、ともいうべき人生について知り、血脈というようなことを考えさせられた。

水上勉と同棲していた女性との間に生まれた子供は、水上家がとても子育てをするような環境になかったために、3歳のときに窪島家に養子として引き取られた。
1942(昭和17)年のことである。
窪島家は、明大前で靴の修理を家業としつつ、明大生などに下宿を提供していたが、1945(昭和20)年の東京大空襲で被災し、家財一式を失ってしまう。
戦後、靴の修理業を続けるが、戦後という時代においても、その生活はとりわけ困窮したものにならざるを得なかった。

窪島少年は、何となく自分の出生に何らかの秘密があるのではないか、と感じるようになるが、皮膚病に罹患した際の血液検査で、医師から父母との関係を仄めかされる。
少年から青年に成長するに従い、窪島さんの疑問は次第に確信に変わって、自分を手放した実父を捜し求める。
35歳になって、それが高名な作家・水上勉であったことを突きとめた。

人の性格や生き方を規定するものは何であろうか?
環境、遺伝、その他諸々の要因が数限りなくあると考えられる。
しかし、極貧ともいうべき環境の中で、窪島さんが、絵画や文学に強い関心を持ち、「キッド・アイラック・ホール」という名称の小劇場を開設したり、美術商を始めた果てに、上田市に夭折画家の作品を集めた「信濃デッサン館」という小さな美術館を開設し、さらに「無言館」を手がけることになる人生の軌跡を知ると、父・水上勉から、「血」を引き継いでいるのだ、ということを思わざるを得ない。

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