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2007年12月28日 (金)

当麻寺…⑤秋櫻子(3)

秋櫻子と虚子の俳句観の差異は、客観と主観についての考え方の差異が軸になっているといえよう。
写生には、本来的に作者の心すなわち主観が入っているはずである。
客観写生というように、ことさらに客観という言葉を強調する場合、主観はどう位置づけられるのか?
芸術的表現の根底には、主観性が不可欠ではないのか?
俳句を叙景詩としてのみ考えるならば別として、叙情詩として捉えるならば、主観の果たす役割を無視できないだろう。

しかし、主観の部分をを評価することは難しい。
初学者は細部の観察を先ず重視すべきであって、それに関する主観に重きを置くと混乱する可能性がある。
だから、教育の方法論として、客観を強調することは容認できる。
しかし、芸術として人を感動させる作品を生み出そうとすると、客観写生がどこまで力を発揮できるのか?

俳句のように、極端に短い定型詩では、表現の型が定まり易い。
例えば、上五の音節を「や」で切り、下五の音節を名詞で止めるなどである。

古池や蛙飛び込む水の音
荒海や佐渡に横たふ天の河

これらは、上記の「や」+名詞止めのパターンである。
しかし、型に嵌った表現は、往々にして作者の心を表現する際の桎梏となる。
「型」化することは、個性から離れることである。
没個性の「型」をどう破るのか?

秋櫻子は、ホトトギスから独立するに際して、「自然の真と文芸上の真」と題する文章を書いて、「馬酔木」に載せた。
虚子の唱える客観写生に対する決別宣言ともいうべきもので、秋櫻子による要約を引用すれば、以下のような内容であった。

主観がうすれて、植物の形態の如きものを詮索してゐる客観写生を排撃し、かがやかしい主観を句の本態としなければならぬといふことであつた。心が澄むに従つて、眼に映る自然の美しさも深くなつて来る。主観を軽んじ、心を捨てて客観写生をしたところで、眼に映るものは自然の表面の美にすぎないのである。それを例証するために素十の句をあげ、みづほ・今夜の句修業漫談を引いて論をすすめた。文中虚子の名を書かず、虚子の説話の引用は避けたが、目指すのは虚子の主張を駁することであつた。

秋櫻子が「ホトトギス」を去った1931(昭和6)年12月、虚子は「ホトトギス」誌上に、『嫌な顔』と題する短編小説を発表した。
織田信長が越前の門徒宗の一揆を征伐した際に捕らえた栗田左近という侍の話で、左近はもともと信長の家臣だった。
信長への進言が容れられず、嫌な顔をして信長の前を引き下がり、やがて門徒宗の一揆勢に加担して、信長に反旗を翻した。
信長は、光秀、秀吉に命じて、左近を捕らえさせ、「お前が逐電したのは愚かなことだ」と諭すと共に、「左近を斬ってしまえ」と部下に命じる。

この左近が秋櫻子を準えたものであることは明らかで、「斬ってしまえ」と断罪するところは虚子の凄みとも言える。
翌年「馬酔木」1月号に、『織田信長公へ』と題する文章が掲載される。

如何に大衆文芸なりと申せ、全然空想の作物は近頃流行仕らず、ここは矢張り写生的に御取材遊ばさるる方、拙者退身の史実も明らかとなりてよろしかならんかと、一応愚見開陳仕り候。御作御発表の上、又何かと御糊塗なされ候点を指摘仕るべく候。何はしかあれ、日頃の御寛仁にも似ず、身づから馬を陣頭に進め給ひしこと、弓矢とる身の面目これにすぎたることはなく、暑く御礼申上候。
恐惶謹言。生きている左近
織田右府どの

虚子の文章を大衆文芸といい、「斬ってしまえ」にも拘わらず、「生きているぞ」という辺り、秋櫻子の度胸も座っている。

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