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2007年12月 2日 (日)

『ベアテの贈りもの』

知人に誘われて、三島市民生涯学習センターで上映された、『ベアテの贈りもの』という映画を観に行った。
主催はみしま女性史サークルとNPO法人静岡県男女共同参画センター交流会議で、三島市の共催である。
「ベアテ」は人名で、フルネームはベアテ・シロタ・ゴードン。戦後、GHQの一員として来日し、日本国憲法草案委員会のただ1人の女性として、憲法草案の作成に携わった。22歳のうら若き娘だった。

私自身はフェミニストのつもりではあるが、どうもフェミニズム関係の言説は苦手で、女性史というのも敬して遠ざかっていた分野だ。
この映画も、誘われなければ行かなかっただろう。しかし、今まで遠ざかっていた世界を垣間見る機会を持てたことは幸いだった。
ベアテさんは、1923年にウィーンに生まれた。
父のレオ・シロタは、リストの再来ともいわれた超絶的な技巧を持ったピアニストである。1929年に山田耕筰に招かれて来日した。
6ヶ月の予定で、東京音楽学校(現在の東京芸術大学)で教鞭を取ることにしたが、結局17年間を日本で過ごすことになった。
日本滞在が延びた理由は、ナチの台頭と母国での暴虐である。実際に、レオ・シロタの弟(ベアテの叔父)は、アウシュビッツに消えたらしい。

ベアテさん一家も、日本における軍国主義の高まりの中で、ユダヤ系という理由で随分イヤな思いをしたらしい。
そういうことも要因であろうが、ベアテさんは、1939(昭和14)年単身渡米し、サンフランシスコのミルズカレッジに入学した。
卒業後は、タイム誌で調査を担当していたが、東亜・太平洋戦争が終わると、両親との再会を目的に、GHQ民政局の一員となることを志願し、来日した。
ベアテさんは、6ヶ国語に堪能だったこともあって、日本国憲法草案員会にただ1人の女性として加わり、女性の視点から人権委員会で種々の項目を列挙した。

旧民法における女性の法的地位は低かった。
例えば、第788条では「妻は婚姻に因りて夫の家に入る」と規定されており、夫婦同姓制度がとられたが、その背景として、妻は夫の所有物であるとする考え方があった。
「戦後強くなったものは……」と、戦後史における女性の地位向上は目覚しいが、その原点に、ベアテさんという若い女性が居たことは余り知られていないのではなかろうか。
ベアテさんが、日本国憲法草案者の中に居たことは、日本の女性にとって大変な僥倖だったといえよう。

日本国憲法を審議する過程では、男女同権が日本の文化・伝統にそぐわないとして、わが国の国会議員からは強い反対を受けたらしい。
結果として、ベアテさんが提案した多くの条文が削除されてしまったらしいが、以下の2条には、ベアテさんの提案が生きた。

第14条 すべて国民は、法の下に平等であって、人権、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
第24条 婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の効力により維持されなければならない。
2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

映画の製作は、2002年の12月のクリスマスの夜に、元労働省少年青年局長の赤松良子さんと、元ソニー社員の落合良さんが出会ったことにより始まる。
その時のパーティのビンゴの景品に、落合さんが、憲法24条の文言を染めたスカーフを持ってきた。
落合さんとその仲間は、ベアテの映画を作る資金集めに、スカーフを作っていたのだ。
そのパーティに、岩波ホールの総支配人の高野悦子さんがいた。
「ベアテさんの映画を作りたい。でも先立つものが……」という中で、高野さんは、「映画は作ろうと思えばつくれますよ」と言ってのける。
高野さんと赤松さんは、同じ昭和4年生まれで気の合う仲間だった。
「監督は誰にする?」という問いかけに、高野さんは、藤原智子さんの名前を挙げた。

映画は、ベアテさんが、岩手県柴波郡柴波町の野村胡堂記念館を訪ねるシーンから始まる。野村胡堂の生誕地である。
野村胡堂は、銭形平次の作者として知られるが、「あらえびす」のペンネームで、音楽評論の世界でも活躍していた。
「あらえびす」は、胡に相当する言葉だという。
レコード収集家でもあった胡堂のコレクションの中に、レオ・シロタの弾くシュトラビンスキーの「ペトリューシカ」があったのだ。

レオ・シロタは、膨大なレパートリーを誇った。
その演奏様式は、きらきらと輝く音色と、素朴な、ほとんど潔癖とさえ言い得るほどの解釈が特徴的であった、と評価されている。
それを支えていたのは驚異的な超絶技巧である。シロタの技巧を聞いて、かのルービンシュタインが愕然としたというほどだったという。
ベアテさんは、赤ん坊の時から父の弾くシュトラビンスキーを聴いて育った。
映画の中で、3歳のとき、「好きな作曲家は?」と聞かれて「シュトラビンスキー」と答えたという逸話を紹介しながら、「他の作曲家の名前を知らなかったから」とユーモラスな解説をしている。
作品も制作過程も、女性パワー満開の映画である。

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コメント

久しぶりです。
ベアテさんについては私も自主上映映画「日本の青い空」で知りました。「日本の青い空」を見て、憲法がどのように作られたのかを知り、自分の今までの無知ぶりに恥ずかしくなった思いがありました。
最近の映画「靖国」で見られたような報道への政治の介入が押し寄せている中で、今、正しいことを勇気を持って主張していくことが、今後の日本の将来を決めていくのではないかと思います。
私もチャラチャラと遊んでいるばかりではいけないのでしょうね。

投稿: 山の友 | 2008年4月12日 (土) 07時11分

山の友さん、お久しぶりです。
貴兄のアクティブな活動の様子を尊敬しつつ、自分の励みにしております。いつまで続くかと始めてみましたが、とりあえず続けてみようと、酔ったまま夜中に起き出して書いたりしているので、いささか意味不明の時があったりするのを反省しています。
でも、まあそれが我流というもので、変えようと思っても変えられないでしょう。
三嶋大社の古典講座をもう1年受講しようと思っています。

投稿: 管理人 | 2008年4月13日 (日) 09時51分

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