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2007年12月31日 (月)

血脈…④日亜化学異聞

中村修二氏と日亜化学の裁判には、どうも血脈的な背景があるらしいことを知った。
小川雅照『父一代の日亜化学』洛風書房(0504)に、その特殊事情が記されている。サブタイトルとして、「青色発行ダイオード開発者中村修二を追い出したのは誰だ!」が付されており、著者の肩書きは、「日亜化学工業株式会社創業家実子」となっている。

裁判における日亜化学側の代表者は、小川英治氏である。小川家が創業家だということは知っていたので、英治氏も創業者の実子だと思っていたのだが、創業者である小川信雄氏の長姉和子氏の婿養子として迎えられた人だった。
著者の雅照氏は、信雄氏の三男であるが兄2人が夭折したので、実質的な長男として育てられた。
一時期日亜化学に在籍していたが、雅照氏の夫人と、信雄氏の妻との間に「嫁-姑」問題などがあって、退社した。

そういう事情があるから、雅照氏の主張を一方的に信じることはできないのかも知れないが、先代の創業者信雄氏に可愛がられていた中村氏が、日亜化学から離反することになる事情について、納得させられるものがあることは確かである。
というのは、創業家の実子で雅照氏の弟の智滋氏も、日亜化学を退社することを余儀なくされているからである。
智滋氏は、日亜化学の常務取締役であったが、信雄氏亡き後平取締役に降格され、さらには取締役からも外されたらしい。

創業者の信雄氏は、中村氏の才能を高く評価していた。
それは信雄氏自身が、職人的な技術者だったことが大きな要因だった。
信雄氏の下で、中村氏は自由な研究環境を与えられ(とはいえ、地方のさほど大きな企業ではないから、設備等が充実していたわけではない)、独創的な開発にチャレンジすることができた。
裁判で、日亜化学は、中村氏が発明した「404号特許」は実際には会社の事業に貢献していない、と主張していたが、職務発明対価を求める裁判の前に、特許を実施する権利の帰属についての争いがあったことからしても、日亜化学の主張は不合理と考えるべきだろう。
同特許の経済的価値を、新日本監査法人は-15億円と査定したが、これは依頼者の日亜化学の意向に沿うように算出したものと言わざるを得ないだろう(12月16日の項)。

婿養子の英治氏には、偉大だった創業者に反発する気持ちもあったのだろう。
創業者の2人の男の実子はいずれも会社から離れているし、日亜化学の現在の好業績をもたらした中村修二氏も会社を離れる結果となった。
もちろん一方からの見方ではあるが、雅照氏が1つの喩え話を創作していて分かりやすいので抜粋・引用する。

ある地域が広大な砂漠で、住民も旅人も井戸が出来ることを待ち望んでいた。
そこへ地質学等の専門知識を学んだ若者がやってきて、ある場所に狙いを定めて掘り始める。
若者の主人は遠くから眺めていて、「そんなところから水が出るわけがないから、止めて別のことをしろ」という。
若者は、主人の嫌がらせを受けながらも穴を掘り続けた。
ある日、穴の底から湿り気のある砂が見えたかと思うと、瞬く間に水が沁み出て豊富な水が湧き出した。
主人の父親(養父)は、その成功を我が事のように喜び、若者を褒め称えた。
主人は、「これは組織の力だ」と若者が掘り当てた井戸に大勢の部下を投入して、石組みを施し、ポンプを設置して村の中心部まで水管を通した。
主人は若者1人の力ではないことを強調し、若者が学んだ地質学さえ否定した。
主人の父親が病床に伏して人事不省に陥ると、若者は失意のうちに主人のもとを去った。

青色発光ダイオードの製品化に関しては、「モノ生み」と「モノ作り」、「個人と組織」、「理系と文系」など、多くの教訓が秘められているように思う。

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