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2007年11月13日 (火)

『群蝶の空』

新興俳句弾圧事件を背景に設定した小説に、三咲光郎『群蝶の空』文藝春秋(0106)がある。
平成13年度・第8回松本清張賞受賞作品で、社会派サスペンスであり恋愛小説である。
舞台は、昭和14年の大阪。女流俳人神坂久江(ひさ女)は、26歳ですらりとした姿態と聡明で意志的な顔立ちの美人である。
久江の夫、神坂良満はまだ40歳であるが、海運業界大手の大蔵商船の専務の地位にある。
大蔵商船の保険契約の拡大を狙っているのが泉南保険で、担当の社員が沖宮忠雄である。

神坂良満は、晩鐘の俳号を持つ俳人である。政財界で俳句をたしなむ者が多く、俳誌や句会が社交の場になっていた。
良満は、東京帝国大学在学中から俳句の世界で頭角を現し、高濱虚子にかわいがられ、保守派の中堅として活動している。
久江がまだ少女のころ、最初に俳句の手ほどきを受けたのが良満だった。
久江は下宿人だった美術学校に通う青年に求愛され、彼がある美術展で入賞したのを機に結婚するが、やがて大阪の平凡な美術教師の生活に飽き足らなくなる。
大阪で良満と再開した久江は、良満に作句をすすめられ、「ホトトギス」に投稿したり、財界の有力者や文化人と華やかな交流をひろげると共に、美術教師の夫を捨てて、良満のもとに出奔する。

久江は、世代的に近い新興俳句派に関心を持っているが、それは師でもある夫の良満の許す世界ではない。
保険の営業のために大蔵商船に出向いた忠雄と上司の今川に、良満は、「京大俳句」のバックナンバーの1冊を示した。
見ると、西東三鬼の次のような句に朱線が引かれていた。

機関銃花ヨリ赤ク闇に咲く
機関銃機関銃ヲ撃チ闇黙ル

戦地に行かずに想像で作る戦火想望句は、無季の題材として新興俳句派の中で流行っていた。
感想を良満から聞かれた今川は、「想像力は豊かだと思いますが……」と無難な返事をするが、良満は激しい批判を口にした。
「軽薄ですよ」「作家の精神のありようが不真面目です。句の対象に向き合う姿勢が真摯ではない」
良満は、守旧派の中堅として、新興俳句派と対立していたのだ。秋櫻子が、「自然の真と文芸上の真」を発表して虚子批判をしたとき、自分の主宰誌「高嶺」に、「『文芸上の真』の誤謬を排す」という一文を発表して、秋櫻子を攻撃したほどだった。

俳人ひさ女は、大阪の日野草城が主宰する「旗艦」を夫に隠れて愛読していた。
草城は、保険会社に勤めるかたわら、大阪における新興俳句派を牽引していた。ひさ女は、草城の次のような繊細な句や都市勤労者の生活句に惹かれていた。

春の夜や檸檬に触るる鼻の先
手を止めて春を惜しめりタイピスト

草城は、新興俳句の道を選んだことによって虚子の怒りを買い、「ホトトギス」を除籍された。
ひさ女は、新興俳句に惹かれはするが、守旧派の良満がそれを許すはずがなく、ひさ女が新興俳句に走ることはありえなかったが、新興俳句派の俳人たちとも交流していた。

ひさ女と忠雄は、「京大俳句」の同人の1人に誘われて、京都の八瀬遊園への吟行に参加し、2人はケーブルカーで比叡山に上る。
山の上で、忠雄はひさ女から「好きな俳人は誰か」と聞かれる。忠雄は山口誓子の名前を挙げるが、ひさ女は、誓子の家に特高の刑事が来て、近況や俳句の交友関係についてしつこく訊いていったことを話す。

夏の河赤き鉄鎖のはし浸る

忠雄も知っている誓子の句に対し、刑事は「赤き」は共産主義を暗示し、河の流れるようにこの国に共産主義が浸透していくことを謳っているのではないか、と言ったという。
国家の統制は、個人の趣味の世界にまで及んでいるのか、と忠雄は暗然とした思いにとらわれる。

そんなことをきっかけに、忠雄とひさ女は恋に陥る。
2人の関係に気づいた良満は、「京大俳句」の摘発を陰で手引きし、妻と男を窮地に追いつめる。
2人は……。
松本清張賞受賞作品とはいえ、推理小説とは言い難い作品で、それ故に選考委員の佐野洋は採らなかったらしい。しかし、これ以上の内容の紹介は避けるのがマナーだろう。

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