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2007年11月21日 (水)

『わざの伝承』

「2007年問題」の本質は、個体としてのヒトが獲得したスキル(暗黙知)を、他の個体にどう伝承していくべきか、というところにある。
この問題に関して、電通で永年マーケティングの仕事に携わってきた柴田亮介さんが、『わざの伝承―ビジネス技術 』日外アソシエーツ(0705)で取り組んでいる。

団塊世代の大量退職によるスキルの断絶という問題に関しては、ものづくりの分野や、コンピュータ・サービス業界では、比較的早い段階で問題の発生が予見され、それなりの対応が図られてきた。
しかし、マーケティングもその典型であるが、企画や戦略立案などの、いわばソフト・テクノロジーの分野においては、スキルの伝承が余り問題意識に上がってきていないように思われる。
柴田さんは、団塊より前の世代に属しているが、後輩たちに自分の獲得したスキルをどう伝えたらいいか、という問題意識を持っていた。

ソフト・テクノロジーのスキルの伝承はどうすれば可能なのか。
柴田さんの勤務先であった電通では、一人前になるまでマンツーマンでOJTを行うという伝統があるという。
つまりは、先輩のやり方を、見よう見まねで覚えていくということである。
企画や戦略立案などの業務は、不定型の問題を対象とするところに本質があって、現時点では、道具や装置などが貢献できる要素は限定的である。
言い換えれば、ソフト・テクノロジーは属人性の強いスキルであって、直接ヒトに学ぶことが最良の方法論ということなのだろう。

現在の社会で、クリエイティブという言葉が日常的に使われているのは、広告制作の場である。
コピーライティングやデザインワークなどを指しているが、クリエイティブという言葉の意味しているのは、道具や装置などに代替されない、ヒトの脳内での作業が中心であるということである。
そして、企画や戦略立案などの作業もまた、現時点では、脳内過程が中心とならざるを得ない。
クリエイティブは右脳に比重があり、企画や戦略立案は左脳に比重があるのかも知れないが、おそらくは右脳と左脳の交響こそが、脳内過程の真髄というものであろう。

脳内過程の作業は、「知的生産」と言い換えることもできるだろう。
梅棹忠夫さんが『知的生産の技術 』岩波新書(6907)で一世を風靡してから、既に40年近くが過ぎている。
もちろん、この間のパソコンの発展やインターネットの普及などによって、「知的生産の技術」と呼ばれるものの内容も大きく変容してきている。
しかし、それらはあくまで「道具」の問題である。
本質は、ヒトの脳内過程にある。現に、戦略立案ロボットなどは聞いたことがない。

属人的なスキルといえば、能や歌舞伎などの古典芸能の世界が典型的である。
柴田さんが着目したのは、このような世界における「わざ」の伝承の方法論であった。
能の奥義を伝えるものとして知られている世阿弥の『風姿花伝』に着目する辺りは、さすがに電通マンに相応しい目配りという気がする。
能や歌舞伎あるいは落語などの世界では、師匠の「わざ」を真似ることが基本的な上達の方法である。
属人的なスキルは、繰り返しによって身体に覚えさせることが重要である。

私は高校時代に部活動として、ある武道をやっていた。
そこで先ず最初に教えられたのは「型」を覚えることであり、繰り返し「型」を練習することによって、それを身体感覚として習得することが課題であった。
最初は意識しながら動作を行うのであるが、次第にそれが無意識化してくる。
今にして思えば、まさに「守・破・離」という上達の論理(10月22日の項)そのものを実践していたのである。
脳内過程が中心のソフト・テクノロジーと身体の運動とでは、分野が異なるにもかかわらず、どうやら両者の上達の方法には多くの共通性があるようである。

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