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2007年11月 3日 (土)

『密告』…①小野蕪子

小堺昭三『密告 昭和俳句弾圧事件』ダイヤモンド社(7901)は、新興俳句弾圧事件の実態を、現存する(した)証人への取材を中心に、詳細にまとめあげた作品である。
この中に、小野蕪子という人物が登場する。
よほど俳句に詳しい人でないと名前を知らない存在だろうが、五木寛之『さかしまに』の黒野寒流子のモデルであることは、名前からしても想像できる。
小野蕪子のプロフィールを紹介している箇所を引用してみよう。

小野蕪子は、正義の密告者となって特高警察の手で合法的に新興俳句運動を弾圧させ、同時にホトトギス王国の高浜虚子をもおさえて、全俳壇に君臨しようとした野心家でもあった。
(中略)
小野蕪子は、東京日々新聞(毎日新聞の前身)の社会部長から日本放送協会(NHKの前身)の文芸部長兼企画部長に転じ、内務省計画局審査委員や文部省教育局委員も兼務、多彩なる才覚をもち、俳句雑誌『鶏頭陣』の主宰者でもあった。

小堺さんは、蕪子の直弟子の中島斌雄さんから、蕪子の人となりをヒヤリングしている。
師についてのことだから、中島さんの言葉にはバイアスがかかっているだろうが、おおよそ以下のような人物像が語られている。
一種のディレッタントで、絵を描かせても上手だし、俳句も詠む。小説や随筆もうまいし、古美術の研究家でもあって、とくに陶器に関しては大家だった。
日本の伝統ある芸術の良さを現代に残すことに力を注いだ、いわば美の使徒だった。

俳句弾圧事件も、日本の伝統を守ろうとするために異分子を排除したかったということだろう。
蕪子は、地方有力紙である秋田魁新聞の俳句欄の選者をしており、秋田を第二の故郷だと言うようにまでなっていた。
その自分の縄張りだと思っていたところに、「京大俳句」をはじめ、「土上」、「広場」、「俳句生活」などの新興俳句誌が全滅した後に、新興俳句派の「蠍座」が創刊された。
主宰の加才葩瓜子(ハカシ)が、「古びたる歴史より解放された明日の歴史の建設に邁進する」ために高浜虚子を「封建的結社主義の城壁をかたくとじた独善的な、あまりにも卑怯なる黙殺主義」者だと攻撃する文章を発表したのだから、蕪子としても許せるものではなかった。
「蠍座」では、葩瓜子と高橋紫風が検挙された。

蕪子は、『戦争と梅干』と題する著書の中で次のように書いている。

私は和歌や俳句の小詩形のかげに隠れてゐる変な分子がありはしないかといふことを恐れてゐます。俳句の雑誌をみてすらドウかと思ふ議論や作品に接します。これら不純分子を征伐するのもいいと思ひます。「魁俳壇」も人と時を見て、どなたかに後継して貰ひたいのですが少なくも私が預かってゐるうちにには不純な分子の潜入を断じて許しません。

蕪子は、「愛国心の発露」から新興俳句派の弾圧に協力したが、目標は、新興俳句を潰滅させることによって、虚子に恩を売ろうとしたところにもあった。
しかし、虚子は時流を超越する態度を崩さなかった。
例えば、昭和17年の「ホトトギス雑詠年刊」に載っている虚子の句は、戦勝祈願のスローガン俳句が多い中で、下記のようなものであった。

唄いつつ笑まひつつ行く春の人
北に富士南にわが家梅の花
春泥に映りすぎたる小提灯

新興俳句の弾圧に与るところが大きかった蕪子だったが、腎臓炎を悪化させて尿毒症を併発し、苦しみながら昭和18年2月1日に死去した。享年56歳だった。
日本軍がガダルカナル島を防備しきれずに撤退を開始したときであり、2ヵ月後には、連合艦隊司令長官の山本五十六が戦死する。
蕪子のことは、戦局が悪化する中で、急速に忘れられていった。
権力への野望、あるいは権力を背景にした策謀の末路は虚しい。

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