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2007年11月24日 (土)

『知的生産の技術』…②反響

一般に、技術というものは、没個性的なものだと考えられる。
決められた手順や方法に従えば、誰でも一定のアウトプットを得ることができるように工夫されたものである。
一方、研究活動や調査・企画あるいは芸術的な制作活動などに代表される精神的な活動、言い換えれば、脳の働きが関与するような活動は、個体依存的で、普遍性が小さいと考えられる。
個性的・個人的な営みは、普遍性が小さいということだから、公開しても意味が小さいのではないか、と考えられていた。

しかし、梅棹さんは、「精神の奥の院でおこなわれていることだって、多くの人が同じようなことをしているのではないか」と考えた。
それなら、「そういう話題を公開の場にひっぱりだして、おたがいに情報を交換するようにすれば、進歩もいちじるしいであろう」。
いま風にいうならば、「オープン化」ということに相当するのではないかと思う。

『図書』連載中から反響は大きかったらしい。そして、新書版が刊行されると、たちまちベストセラーの一角を占めるに至った。
現在でも版を重ねており、岩波新書の中でも有数のロングセラーだろう。
その影響は、たんに「たくさん売れた」という量的なことに留まらなかった。
梅棹さんの本に触発された人たちが、早くも翌年の1970年に、相互の研鑽を図る場として、「知的生産の技術研究会」を組織している。
同会は、現在はNPO法人化して活発な活動を続けている。
つまり、質的にも深い影響をもたらしたのだった。

影響力の大きさを示すエピソードとして、次のような話が伝えられている。
知的生産の技術』に紹介されているツールに、B6版のカードがある。いわゆる「京大型カード」と称されているものである。
梅棹さんは、カードを書く習慣つけるために、次のようにアジった。
「おもいきってカードを一万枚くらい発注するのである。一万枚のカードを目のまえにつみあげたら、もうあとへひくわけにはゆくまい。覚悟もきまるし、闘志もわくというものだ。」
この箇所を読んで(それを真に受けて)、作家の井上ひさしさんや評論家の山根一真さんなどは、直ちに一万枚を購入するために、文具店に走ったらしい。

中牧弘充さん(国立民族学博物館教授)『梅棹忠夫著作集・第11巻「知の技術」』での解説(『知の技術のアヴァンギャルド』)で、「梅棹式カード教」を自称する読者がいた、というエピソードを披瀝している。
しかし、計算してみれば、1日に30枚のカードを使ったとしても、一万枚のカードは1年分に相当する。
実際問題として、毎日30枚のカードを作成するというのは大変な労力である。

私は、この本が出版された年に社会人になった。
世は高度成長の最盛期であり、私の関係していた分野でも、イノベーションが著しかった。
新社会人となった私は、いかにしてイノベーションの競争で優位に立てるのか、同僚たちと議論を重ね、創造性開発手法などを学んだ。
その頃、創造性開発の一手法として、梅棹さんと京都大学の探検仲間だった川喜多二郎さんの考案された「KJ法」という手法が注目を集めていた。
「KJ法」は、発想法であり、概念や質的データの整理手法でもある方法論である。
KJは川喜多さんのイニシアルに由来するが、先ずは小さなカード(紙切れ)に思いついたことをどんどん記入していくことから始まる。
「KJ=紙切れジャンジャン」法などとも言われていた。

自分の担当分野において、イノベーションにささやかでも貢献をすることができれば幸いと考えていた新社会人にとっては、梅棹さんの本は、タイトルからしても、自分たちの求めているものにジャストフィットしているように思えた。
実にプラグマティックに、知的生産のツボを開示しているように感じ、私も早速B6版のカードを購入することにした。
しかし、さすがに一万枚を一度に購入するような蛮勇も資力もなかったので、とりあえず300枚程度を購入してみたのだった。
結果的にはそれすら使い切ることはなかったのであるが。

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