コンセプチュアル・スキル
私も、かつてリサーチ業界に身を置いたことや、経営スタッフとして会社の戦略立案に携わっていたことがあり、ソフト・テクノロジーについてはそれなりの関心を払ってきた。
しかし、そもそも、ソフト・テクノロジーについては、伝承の前提となる全体像や体系についての認識が、十分な一般性を持つ形では確立されていなかったのではないか、という気がする。
ビジネス・スキルということで言えば、ソフトテクノロジーに類似した言葉として、昔からコンセプチュアル・スキルということが言われてきた。 R・L・カッツというハーバード大学教授がずいぶん前に提唱したもので、知識や情報などを体系的に組み合わせ、複雑な事象を概念化することにより、物事の本質を把握する能力のことである。
カッツは、管理者(マネジャー)に必要なスキルを管理階層に対応させて、図のように示した。
つまり、上位のマネジメント階層になるほど、コンセプチュアル・スキルの必要性・重要性が増すということである。
テクニカル・スキルというのは、例えば物理、化学、電気、力学、会計、ITなどのように、専門領域に係わるスキルである。
テクニカル・スキルは、業務遂行にとって必須のスキルであるから、誰かが持っていることが必要である。
しかし、テクニカル・スキルに秀でているだけでは、マネジメントはできない。
ヒューマン・スキルは、人間関係を円滑に保つためのスキルである。
仕事は市場という場で、顧客や競合との関係の中で組織によって遂行される。常に対人的な環境にいるわけであるから、人間関係を上手に保つことはマネジメントの要諦でもある。
なぜ、マネジメント階層が上位になるほど、コンセプチュアル・スキルが要請されるのであろうか。
私なりに解釈すれば、マネジメントには、構造の維持という側面と、構造の変革という側面とがあるが、上位のマネジメント階層になるほど、変革に比重を置くことが必要となる。
変革というのは、未知なる事象に向かっていくことだから、必然的に不定型の問題に直面せざるを得ない。
不定型の問題を解決していくためには、コンセプチュアル・スキルが重要だ、ということであろう。
もし、そういうことであるとすれば、変化が常態となっている現在、コンセプチュアル・スキルは、上位のマネジメント階層に属する者だけでなく、広く企業人一般に要求されるスキルということになる。
社会人が大学院に再入学するケースが増えているという。
いわゆるMBAのコースが代表的なものであろうが、そこで目指されているのはまさにコンセプチュアル・スキルであろう。
私がリサーチ業界にいた頃には、コンセプチュアル・スキルに関連した適切なテキストが見あたらなかった。
コンセプチュアル・スキルとは、言い換えれば思考の進め方の技術であるから、先輩や同僚と「思考技術研究会」なる勉強会でスキルの鍛錬を目指した。
現在では、齋藤嘉則さんの『問題解決プロフェッショナル「思考と技術」 』ダイヤモンド社(9701)、『問題発見プロフェッショナル―「構想力と分析力」 』ダイヤモンド社(0112)などの好著が出版されていて、コンセプチュアル・スキルを学ぶための環境が整備されてきた。
しかし、コンセプチュアル・スキルが、テキストを読破するだけで習得できるものではないことも明らかである。
概念を表現するためには、言葉や記号などが必要であり、それを表示するための媒体が必要である。
コンセプチュアル・スキルに上達するための方法論として身近で有効なのことは、おそらく文章を作成すること(作文)であろう。しかもそれを他人に評価して貰うことが重要である。
人類学のノーベル賞といわれるトーマス・ハックスリー賞の受賞者で、『アフリカ紀行』講談社文庫(8410)などの著者である伊谷純一郎さんは、名文家としても知られているが、若い頃今西錦司さんに、論文が真っ赤になるほど添削されたという文章を読んだ記憶がある。
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