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2007年11月19日 (月)

技能五輪国際大会

第39回技能五輪国際大会が、沼津市で開催されている。11月14日に開会式、15日~18日に競技を行い、21日に閉会式が予定されている。
日本での開催は、1985年の大阪大会以来で22年ぶりということになる。
静岡市で、同時に第7回国際アビリンピック(障害者技能競技大会)が開催され、静岡県では、両者を総称して、「2007年ユニバーサル技能五輪国際大会」と名付けている。
大会メッセージは、「Thanks for the Skills」である。

この大会は、1950年にスペインの職業青年団が、隣国ポルトガルとの間で技能を競ったことに起源がある。
その後、逐年参加国・出場選手が増加し、技能労働者の祭典として発展してきた。
大会の憲章では、目的を、参加各国における職業訓練の振興と青年技能者の国際交流・親善を図ることにある、としている。
大会は、国際職業訓練機構によって運営され、加盟各国からの公式代表および技術代表により、組織委員会が構成されている。
日本からは、中央職業能力開発協会が同機構のメンバーになっており、国際大会に選手団を派遣している。

大会は、現在は隔年(奇数年)に開催され、参加資格は開催年に22歳以下であることとされている。
日本は、1962年の第11回大会から参加し、毎回優秀な成績を収めている。
日本での開催は、1970年の第19回大会(東京・千葉)、1985年の第28回大会(大阪)に次ぐものである。
大会期間中には競技のほかに、職業訓練・技能開発に関するフォーラム、セミナーや視察観光小旅行(エクスカーション)が行われる。
選手・大会役員等を含めると約2,800人が参加するというから、沼津では久しぶりのビッグイベントということになる。
オリンピックでお馴染みの選手村が、今回の大会で初めて、御殿場市の時の栖に設置された。

ところで、技能五輪で競われる「技能」とは何だろうか。
技能に関連するものとして、わが国では、「技術論論争」と呼ばれる歴史の長い論争がある。
私も、もともと技術者の端くれだったから、「技術論論争」の一端に触れたことはあるが、行われてきた論争が日々の実践との関係にぴったりくる感覚がなく、さほど深入りするに至らなかった。
したがって、私の技術観は、自分の体験の範囲のものでしかないが、技術について、おおよそ以下のように考えている。

原始的な段階の技術は、個体としてのヒトから分離できないものだったであろう。器用さとか、運動神経などと呼ばれるものに依存していたと考えられる。
個体としてのヒトの能力にはいずれにしろ限界があるから、それを越えようとして、道具や装置などが考案された。
つまり、技術が外在化・物質化されることになった。
そうすると、外在化・物質化されたもの自体を進歩発展させようという努力が働いてくる。
次第に複雑な機構を備えるようになり、生産性が向上していく。動力を備えることによって、生産性は劇的に向上し、産業革命と呼ばれる社会変革が起きる。
さらに、IT技術の進展により、装置に一定の知能が付与され、現在は、多品種少量生産に対応した、きめ細かで柔軟な生産体系が構築されている。

その一方で、依然として個体としてのヒトに残らざるを得ない技術も存在している。
技能五輪で競われるのはそのような技術が中心である。
ITによる制御が高度化しても、例えば、研磨やレンガ積みなどにおいて、ロボットは熟練した人間が保有する微細な感覚には及ばない。
それは、料理というようなことを考えてみれば当たり前のことであることが分かる。
調理の結果は人間の味覚によって評価せざるを得ず、どんなに高度なプログラムを組み込んだロボットといえども、プロセスにおいて味見をしながらさじ加減をフィードバックする調理人に適わない。
ものを作るという局面においては、常に同じようなことが起きているのだと思う。
つまり、技能というのは、とても人間的な営みなのではなかろうか。

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