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2007年11月15日 (木)

高屋窓秋

新興俳句の理論はともかくとして、実作ということになると、どうも可能性の範囲を出ていなかったのではないか、という気がする。
弾圧事件が起きず、その可能性がさらに追求されていたら、どのような作品が生み出されていたのだろうか。
新興俳句のさまざまな試みの中で、最も印象的な作品を残しているのは高屋窓秋ではないかと思う。

ちるさくら海あをければ海へちる

句の評価基準はさまざまであろうが、究極的には「詩趣」をどう評価するか、というところに行き着くのではないだろうか(10月24日の項)。
この句こそ、詩趣というにふさわしいだろう。
あるいは、

頭の中で白い夏野になってゐる

窓秋の代表作とされている句である。
この句では、「で」が、「が」や「は」でないところがポイントである(中村裕『やつあたり俳句入門 』文春新書(0309))。「で」とすることによって、作者の固有性を離れた普遍性を意味していることになる。
川名大さんは、この句は次の3つの点から吟味する必要がある、としている(「名句・秀句・問題句の謎」『俳句の謎―知っ得 近代から現代まで 』学燈社(0707))。
1.俳句史ないし俳句表現史における意義
2.句のイメージや内面世界についての感受の問題
3.「頭」をどう音読するか

初出は、「馬酔木」昭和7年1月号で、当時の俳壇は、虚子の唱える「花鳥諷詠」「客観写生」に沿った視覚的に自然の風景をなぞるものが主流だった。
この句の画期性は、「花鳥諷詠」「客観写生」と隔絶して、心象風景、意識の抽象美を斬新な口語体に載せて表現した点にある(川名:上掲文)。

「白い夏野」のイメージや作者の内面意識をどう受け止めるかは読者の感性に委ねられている。
大きくは二説に分かれる。「人間心理の内面と外界とが、愁わしい倦怠感を誘いつつ、不思議に溶け合う」(高柳重信)という方向と、「『白』を詠む」(石田波郷)という方向である。

中村裕の上掲書に、夏石番矢さんの次のような解説が引用してある。
「夏の野原には、濃緑の草木、赤や黄色などの花々、そして上空には、ぎらぎら照る太陽、白雲、青空が広がっている。このようにさまざまな強烈な三原色からなる光が、人間の『頭の中』で溶け合って、白一色となる」。
なるほど、というしかない。
ここまで来れば、解釈は立派な創作活動と言うべきだろう。鑑賞のレベルの違い、といったことを考えさせられる。

窓秋は、自ら「ぼくの言葉は、視覚への定着から、つねに離れよう離れようとする。できれば、それに徹したい、とさえ思っている。絵画などが、到底及ばないように」と言っている。
そして、虚子の「流れ行く大根の葉の早さかな」を、「映画のわずか数秒間にも劣る描写俳句」と評している。
窓秋がめざしたのは「絵にも描けない世界」なのだ、ということになる(中村:上掲書)。
客観写生の対極とも言えようか。

「頭」を「ヅ」と読むか、「アタマ」と読むかについても議論があるという。「ヅ」と音読することで、意味離れしていい、とする説があるというが、窓秋自身が「アタマ」としていたというし、奇を衒わずに素直に「アタマ」と読めばいいのではないのだろうか。

窓秋は、「馬酔木」の会員だったが、昭和10年に、主宰の水原秋櫻子が宮内庁より典医を拝命したことで、自分が「馬酔木」にいることで秋櫻子に迷惑がかかると考え、「馬酔木」を去る。そういう時代だったのだ。
後に、西東三鬼に誘われて「京大俳句」に加わり、反戦的な句を発表していたが、昭和13年以来、満州電信電話株式会社放送総局に勤めていて、弾圧事件の難を逃れた(田島和生『新興俳人の群像-「京大俳句」の光と影 』思文閣出版(0507))。

月かげの海にさしいりなほ碧く
山鳩よみればまはりに雪がふる
月光をふめばとほくに土こたふ

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