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2007年11月27日 (火)

『俳句とあそぶ法』…①江国滋さん

江国滋さんに『俳句とあそぶ法』朝日新聞社(8402)(朝日文庫版(8701))という著書がある。
われわれの「選句遊び」(「選句遊び」(8月22日の項)、「選句遊び余談」(10月15日)の項)は、言ってみれば「俳句であそぶ法」で、俳句を遊びの材料にしているわけであるが、江国さんの著書は、作句の心構え全般について説いた本格的な俳句解説書である。
「遊ぶ」は「play」であり、ルールを守ることが重要である。

江国さんは、「遊びだからこそ、まじめに取り組む必要がある。きちんとルールを守って厳格に遊んでこその遊びであって、すこしでも箍(タガ)がゆるんだら、たちまち遊びの興趣がそがれること、麻雀でも同じである」としている。
そのルールを豊富な説得力に富む実例を織り交ぜなから解説したのが、『俳句とあそぶ法』である。
この書は、俳句ブームの火付け役になった、とされている。

江国さんは、大学卒業後、新潮社に入社し編集部員として勤務した後、文筆業に転じ、随筆・紀行・評論などの分野で活躍した。
執筆活動のかたわら、小沢昭一さんや永六輔さんらと共に、「東京やなぎ句会」を作り、句作に親しんだ。
滋酔郎の俳号を使っていた。
お酒が好きで、毎晩酔っぱらっているので、本名の下にいちばん身近な一字をつけ、「滋酔」としてみたがなんとなくすわりが悪いと感じ、「郎」の字を加えたと自解している。

仏文学者の辰野隆さんが「隆酔郎」と名乗っており、じじいになったら「郎」を「老」に変える、と言っていたのにあやかろうという気持ちもあったと書いている。
しかし、「郎」を「老」に変える境界線をどこに設定するか、その日を自覚するのが容易ではなさそうである、と予想している。
結局は、その日が来る前に病魔に襲われ、亡くなられてしまったのだが。

食道ガンの告知を受けたのは、1997(平成9)年2月6日だった。それから闘病生活に入るが、8月10日に帰らぬ人になった。
その闘病生活の記録を『おい癌め酌みかはさうぜ秋の風』新潮社(9712)として刊行している。
タイトルの句は、8月8日に誰もいない病室で原稿用紙の裏側に書き付けた辞世の句で、「敗北宣言」という「前書き」が付いている。
『俳句とあそぶ法』にも「8 前書きの効用」と題する章があり、「一句の前にごく短い文言を添えて、句意を補ったり背景を説明したりするするのが『前書き』である」と解説している。
辞世の句の「前書き」は、見事な事例ではあるが、余りにも悲しすぎる事例である。

また同書には「12 もっけの病気-病中吟」と題する章もある。
「俳句史に残る名句が、どれだけ病床から生まれているか」とし、「いっそのこと、病気にでもなって、入院でもして、手術の一つでも受けたら、あッとおどろく病床名句があとからあとから雲のごとくわいてくるかもしれない」と書いている。
そして、以下のような文を綴る。

闘病生活が、人間を思慮深くさせたり、繊細にさせたり、ひとまわり成長させたりするということは、よくいわれるところだが、激痛や苦しみにのたうちまわるおのれの姿を直視する勇気と、それを客観的にえがく俳人たちの粘着性には、ほとほと敬服する。

『おい癌め……』には、約半年で500句が遺されている。
「激痛や苦しみにのたうちまわるおのれの姿を直視する勇気と、それを客観的にえがく俳人たちの粘着性」という評言は、まさに江国さんにこそ当てはまるのではなかろうか。、

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