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2007年11月20日 (火)

2007年問題

「2007年問題」という言葉がある。
誕生したのは2003年で、CSK代表取締役の有賀貞一さんと「日経コンピュータ」誌の副編集長の谷島宣之さんが雑談していた際だと言われている。
2007年からはじまる団塊の世代の定年退職に伴って、コンピュータ・サービス業界でさまざまな問題が発生してくるのではないか、という問題意識だった。

団塊の世代というのは、1947~49年生まれの世代で、いわゆるベビーブーマーである。
堺屋太一さんが1976年に、『団塊の世代 』文春文庫(0504)というタイトルの小説を発表し、世に広まった。
「団塊」というのは、もともとは、鉱物学で一塊の単位で採られる鉱物を指す言葉らしい。
団塊の世代は、そのボリュームによって、社会にさまざまな問題を投げかけてきた。
前面に出たのは、70年代末の「学生の反乱」の際であろうか。
大学における「知」のあり方を根底から問おうとした(かのように見えた)全共闘運動は、団塊の世代がまさに学生だった時代の出来事である。
しかし、社会人になってからは、一転して企業人として邁進した人が多かったらしい。

団塊世代の定年退職が、コンピュータ・サービス業界でいち早く意識されたのは、わが国の情報化の歴史と関連している。
日本の大手企業におけるコンピュータ導入が本格化したのは、1960年代後半からであり、その第一線で基幹システムの構築を担ったのが団塊の世代だった。
団塊世代がリタイヤすることにより、保守が困難化し、スキルの継承に問題が起きるのではないか、と心配されている。
団塊世代は既存システムを熟知しており、彼らがいなくなると、改修や再構築の工数が増える。
また、往々にして、ドキュメントのメンテナンスが不十分であったりもする。

マニュアルやドキュメントが整備されていれば、それでいい、ということでもないところが悩ましい問題である。
いわゆる「暗黙知」と呼ばれるものの存在である。
世の中には、定式化できない「知」というものがある。
技能五輪で競われる「技能」も暗黙知の世界であろう。
プログラム化の限界を超えたところにある人間的なワザ。それこそが、ヒトとコンピュータを隔てるものではないのだろうか。

「2007年問題」が社会的に認識されるようになって、さまざまな制度的な対応が図られるようになった。
企業における定年の延長はその典型であろう。
個別企業にとっても、まだまだ戦力として活用可能な人材が多いことを考えれば、なんらかの場を用意する方が得策である。
団塊の世代のもたらすさまざまな問題は、少子高齢化に象徴される人口構造の問題の一端であるし、退職と再雇用という就業形態の変化は、労働力の流動化の一面であろう。
つまりは、新しい社会が到来しつつある、ということだ。
「2007年問題」とは、ピーター・ドラッカーのいう「ネクスト・ソサエティ」への転換を示すものといえるだろう。

「WEB2.0」という言葉が使われているが、「ネクスト・ソサエティ」というのは、いわば産業社会の「2.0」へのバージョンアップということではなかろうか。
ドラッカーは、「ネクスト・ソサエティ」は、経済が社会を決めるのではなく、社会が経済を決める新しい時代なのだ、という。
経済が社会を決める時代をモダンといえば、社会が経済を決める時代は、ポストモダンである。
しかし、ポストモダンというだけでは積極的な規定にならない。
ポストモダンの時代をどうデザインするのか。
現代(モダン)の時代に生きている私たちも、真剣に考えなければならないテーマなのではないだろうか。

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