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2007年10月24日 (水)

選句の基準…④詩趣

「俳句」誌06年5月号では、稲畑廣太郎さん(「ホトトギス」同人)が、「選句の基準」として『詩趣ある約束事』を挙げている。
稲畑さんは、「ホトトギス」同人だから、というよりも虚子の曾孫だからというべきかも知れないが、自ら「のっけから虚子の言葉の引用である」と書いているように、虚子第一主義ともいうべき立場である。

その虚子の言葉を孫引きすれば、以下の通りである。

俳句の善悪はなかなか説明できません。ただ私がこれはよいと思って採った句は、たいがい佳い句のようです。そんな句は必ず全体がよく調っているがまた写生の真の道に適っているか、または句に力が籠もっているかいずれかの結果で、見ているうちに自然と感興を深めてくる句です。つまりそんな感興は、なかなか説明できません。

稲畑さんは、「選句の基準」について、この虚子の言葉以上のものはないのではないか、としているのであるが、さすがにそれでは説明になっていないと考えたのであろうか、自分の選句例(採らなかった例)を挙げている。
例えば、次の句を採らなかったとして挙げている。

雨降れば此処ら湿地と言ふ花野

なかなかいい句かとも思えるが、この時の兼題は、「湿地」だったからダメだというのである。
どういうことかと言えば、兼題として出された「湿地」はシメヂのことで、「湿地(シッチ)」ではなく、ルール違反だったという種明かしがされている。
「ナンダ」という肩すかしを食らったような感じであるが、「ホトトギス」の題詠選での話である。
「ホトトギス」の題詠選の兼題は、必ず季題であり、しかも『ホトトギス新歳時記』から出題される、という誌上での約束がある、ということである。
上記を投句した人が、この約束を読んでいたのかどうか分からないが、まあ私的な結社の内部の話であるから、それは随意というものだろう。

稲畑さんは、『虚子編 新歳時記』において、虚子が「俳句の季題として詩あるものを採り、然らざるものを捨てる」と言っているのに倣い、「『詩ある日本語』を是非大切にしたい」と述べている。
「詩ある日本語」を大切にすることは大いに賛成であるが、問題は、詩があるか無いかの基準をどう捉えるかであろう。

2月号では、永島靖子さん(「鷹」同人)が、選句の第一基準は、「作品の背後に作者ならではの詩の顕(タ)っていること」としている。
どういうことかと言えば、「俳句的既成概念に納まっていず」「表に書かれている内容の新鮮さと更にその奥に潜む詩情の如何」だという。
俳句は詩の一種だろうから、詩情の如何が重要であることは理解できる。
しかし、それが基準だと言われても、素人の立場では、詩情の如何をどう評価するかこそ聞きたいのだ、と言いたくなる。

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