選句の基準…③新規性と進歩性
「特許法」第29条は、「特許の要件」について、「新規性」と「進歩性」という2つの条件を定めている。
「新規性」というのは、特許を出願する時点で、「公知」でないこと、つまり今までに発表されていないことである。
既に発表されていて大勢の人が知り得るものは、新規性がないということで、特許を認められない。
また、「進歩性」というのは、誰でもが簡単に思いつくようなものではない、ということである。
「特許法」では、「その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が前項各号に掲げる発明に基いて容易に発明をすることができたとき」は、「前項の規定にかかわらず、特許を受けることができない」としている。
これを「進歩性」がない、と表現している。
しかし、「通常の知識」や「容易に」という概念には、裁量の要素が入ってくることを避けられない。
「月並」や「類想・類句」という言葉を前にすると、上記の「新規性」と「進歩性」という2つの条件を連想する。
俳句を、言語による「発明」と考えてみれば、「新規性」と「進歩性」は、俳句においても重要な判断基準となり得るのではなかろうか。
そして、俳句においても、「新規性」については、同一句が既に発表されているか否かということであるから、基準は明確である。
しかし、「進歩性」つまり「誰でも簡単に思いつくかどうか」については、判断が分かれることが多いであろう。
「俳句」誌06年6月号で、武田和郎さん(「半島」同人)は、『事実と真実』と題し、「新鮮である事・意外性のあること」を大切にしたい、としている。
つまり、新しい発見の有無である。
武田さんは、初心者は、見たり聴いたりしたことをそのまま作句してしまうことが多いという。
それは報告・説明であって、判り易いが表層を捉えただけの句であって、「事実」の表現である。
一句創作というためには、表層を捉えるだけでなく、物事の裏にひそむ「真実」を把握しなければならない、ということだ。
その「真実」の把握が「進歩性」のカギなのであろうが、この場合も、進歩性の評価に主観が混入することは不可避ではなかろうか。
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