虚子の「選句創作」論
(8月24日の項の続き)
『折々のうた』などで知られる大岡信さんが、新潮日本文学アルバムの『高浜虚子 』新潮社(9410)に、「選は創作の覚悟」という一文を寄せている。
大岡さんは、戦後の詩壇(現代詩)を代表する実作者であると同時に、短詩型文芸に関する鋭い批評家である。虚子論についての最適の解説者といえよう。
大岡さんは、次のように書き始める。
高浜虚子が抜群第一等の俳人であった理由の一つは、彼が抜群の選句眼の持主だったことにある。
そして、『高浜虚子全集』改造社(3407)の中の、「『ホトトギス雑詠全集』の序一束」から、虚子の次の言葉を引用している。
選といふことは一つの創作であると思ふ。少なくとも俳句の選と云ふことは一つの創作であると思ふ。此全集に載った八万三千の句は一面に於て私の創作であると考へて居るのである。
「八万三千の句」とは膨大な数である。
明治41(1908)年から昭和6(1931)年頃までホトトギスの雑詠欄への投稿句が対象になっているのであるが、機械的に毎日10句として計算すると、約23年分程度に相当する。
計算上の話ではあるが、上記期間とピタリと一致している。つまり、虚子は、毎日毎日欠かさず10句を選ぶのと同等の作業をしていたことになる。
虚子が、「選は私の創作」というのは、虚子が「人によって採択に斟酌をしない」という信条を反映している。
虚子は、「いいものはいい、駄目なものは駄目」と言い切ったわけだが、それは結果として人の不満や恨みを買い、ホトトギスからの背反者を出すことにもなった。
この問題は、組織の発展にける短期と長期の矛盾の一例であろう。
短期的に背反者を出さないように配慮すれば、その配慮によって長期的な発展が阻害される。虚子の姿勢は、あくまで本質を追求することが、組織(結社)の永続性を担保するということだったのだろう。
大岡さんの引用を続ける。
私は黙って去り行く人の後影を見送りながら、俳句の選択に没頭した。
確かに虚子のこれらの言葉には、大岡さんの言うように「凄み」がある。
われわれのようにハナから「遊び」と割り切っているものとは遥かに異なる境地である。
しかし、私は、桑原武夫の「第二芸術論」(8月25日の項)に賛同するところも大である。
桑原の論は、敗戦後の状況の中で、西欧の芸術に比べて、俳句や短歌を「遅れた文芸」=第二芸術と断罪するものである。
今の時点で読み返すと、余りにも進歩主義的もしくは近代主義的な意識が強すぎるような気もするが、確かに独立した一句だけで、その優劣を評価することはかなり難しいのではないかと思う。
もっとも、だからこそ、俳人としては、虚子のように全身全霊で取り組む姿勢が必要なのだろうが。
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