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2007年10月15日 (月)

「選句遊び」余談

8月22日の項の続き)
選句の基準には個性があるはずだ。
もちろん、われわれの選句は「遊び」だから、それほど真剣に考えて選んでいるわけではない。
しかし、結果的に選ぶ句が違うとすれば、そこに何ほどか個性の反映があるのではなかろうか、というようなことを考えたくなる。

妻が、知人のKさんに、「選句遊び」の話をしたところ、彼女も興味を持って自分もやってみようということになったらしい。
Kさんは、大学で心理学を学び、医療機関でカウンセラーとして働いた後、思うところがあって外国人に日本語を教える仕事に就いた。
こういう話にはピッタリの人である。
最初に遊びに乗った8人の選句結果をKさんに示し、Kさんにそれぞれの人物像を推測して貰ってみよう、というように展開していったようだ。
Kさんは、妻と私以外は全く面識がない。もちろん、これも「遊び」の範疇の話である。

資料が限定されているのだから、Kさんの推測にも自ずから限界がある。
まあ、むしろ無理な注文だというべきだろうし、Kさんも評し難かっただろうと思う。それでも全般的に「なるほど」と思う結果だった。
他の人の評は遠慮するとして、私については、「視覚的な観察眼」という言葉を使って頂いた。
8月22日の項で、「私の選句基準は、どうやら視覚的なイメージの鮮やかさと音の響きやリズム感にあるように思う。」と書いていたので、わが意を得た思いだった。

ちなみに、私が、黛まどかさんの『知っておきたい「この一句」 』PHP文庫(0706)に採録されている50句の中から、ベスト5として選んだ句は次の通りである。

①美しき緑走れり夏料理(星野立子)
②家々や菜の花色の燈をともし(木下夕爾)
③花衣ぬぐやまつわる紐いろいろ(杉田久女)
④夏帯や運切りひらき切りひらき(鈴木真砂女)
⑤ひく波の跡美しや櫻貝(松本たかし)

私にとって興味深かったのは、結果よりもKさんの認識のプロセスだった。
Kさんは、各人の選句結果を比較して、他の人が選んでいない句を抽出した。
不思議なことに、次点に入れたものまで含めれば、誰にも、他人が選んでいないものがあった。
そして、その句を中心にその人の人物像を推測したのだった。

私の場合は、次の句が私だけが選んだ句であった。

次:死ぬものは死に行く躑躅燃えており(臼田亜浪)

おそらく8人というのがちょうど良かったのだろう。人数が増えてくれば、当然重なりが増し、その人だけという確率は減ってくる。
考えてみれば、個性とは、他人とどこがどう違うか、ということだから、Kさんの思考は当たり前のプロセスではある。
しかし、私や妻は、選句の共通性の方だけに目が向いており、差異に着目することをしていなかった。
改めて、私が「思考の生活習慣病」に陥っていることを反省させられた。

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