60年安保…③6月15日
5月19日、20日の警官隊を導入して強行採決した際の、清瀬一郎衆議院議長は、東京裁判(極東国際軍事裁判)の日本側弁護団副団長として、連合国と対峙した法律家だった。
したがって、法律的な手続きには元来厳格な考えをもっていた。採決後の記者会見では、「断腸の思いで警官隊を導入することにした」と語ったが、議会政治史において大きな汚点を残したことは否定できない。
5月20日以降、新安保条約に対する賛否を越えて、岸首相に代表される議会政治軽視に対する反発が急速に膨れ上がった。
さまざまな団体が強行採決批判の声明を出した。
東京都立大学の教授だった竹内好さん(中国文学者)は、公務員としての職務を離れる決意を固め、辞表を提出した。
後に保守派の論客となる江藤淳さんすらも、岸政権との闘いの必要性と重要性を説く評論を執筆した。
6月19日に予定されているアイゼンハワー大統領の訪日に先立って、ハガチー大統領秘書が6月10日に羽田に到着した。
ハガチー秘書は、車で都心に向かったが、弁天橋付近に集結していた全学連反主流派(共産党系)の学生や神奈川県評の労組員たちに取り囲まれて、身動きがとれなくなってしまった。
1000人の警官隊が駆けつけてデモ隊を排除してヘリコプターの着地地点を確保し、ハガチー秘書はアメリカ軍のヘリコプターに乗り換えて都心に飛び去った。
この「ハガチー事件」は、国際的な儀礼を欠く行動ではないかと捉えられ、アイゼンハワー大統領の訪日に関して、世論に微妙な影響を与えた。
6月15日に国民会議の統一行動日が設定された。国会請願デモは、午後から夕方にかけて、10万人が国会、首相官営、アメリカ大使館に向けてデモ行進を行い、新橋付近で解散することになっていた。
国民会議の方針とは別に、全学連主流派は、国会に突入する計画を立てていた。唐牛委員長らは拘置所に拘留中だったので、この日のデモは北小路敏全学連委員長代理(京都府学連委員長)が指揮をとった。
午後4時過ぎに国会を一周するデモが始まったが、最前列が最後尾に重なるほどの人数だった。
午後5時30分から、全学連主流派の学生は、国会南通用門から国会構内へ突入しはじめた。7時過ぎ、警官隊が学生の排除に入り、乱闘状態になった。
午後7時半ころには学生は構外に押し出されたが、その間に、「女子学生が死んだ」という情報が流れた。実際に東大生の樺美智子さんが乱闘の中で亡くなったのだった。
午後10時、学生のデモ隊が正門から国会に入ろうとし、再び警官隊と激突した。多数のけが人が出て、学生は排除された。この日、樺さんが亡くなった他、700名以上の重軽傷者が出るという歴史的な1日となった。
こうした事態の中で、警備当局が、アイゼンハワー大統領の訪日の警備に自信がもてないことを、岸首相に明言し、16日に大統領の訪日を断ることが決定された。
6月18日、新安保条約の自然成立を目前にして、朝から国会周辺に人の波が溢れていた。
東大では、15日に亡くなった樺美智子さんの慰霊祭が開かれ、全学連は日比谷公園で抗議の総決起大会を開いた。
午後11時過ぎても、新安保条約の成立に抗議すべく、4万人近くが国会周辺に座り込んでいた。
しかし、もはやどの政治勢力にも為すすべは無く、19日午前0時、新安保条約は自然成立となった。
6月23日、藤山外相とマッカーサー駐日大使の間で、批准書の交換が行われ、岸首相は、新安保条約が発効したのを機に、辞任を表明した。
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