「60年安保」とは何だったのか
6月19日の自然成立の後、安保改定反対運動は、潮が引くように沈静化していった。
国会を何十万の大衆が取り囲み、道路を埋め尽くすなどということは、今からでは想像することすら難しいが、その盛り上がりをもたらしたもの、つまり「60年安保」とは、結局のところ何だったのだろうか。
その答えは、おそらく人により、立場によってさまざまだろう。
1960年は私が高校に入学した年だから、私も3年ほど早く生まれていれば、国会を取り巻くデモの渦中にいたのかも知れない。しかし、この年頃における3年の違いは、世代の違いを生じるほどに大きい。
私は、実質的に「60年安保」を知らず、「60年安保」が何だったのかについて、経験的に語り得ることはなにもない。
1960年が戦後史の転換点だったとして、安保改定反対運動がその転換をもたらしたのかといえば、どうもそうではないようだ。
むしろ転換期の諸条件が、「60年安保」の盛り上がりをもたらしたと考えた方が妥当のように思われる。
安保改定反対運動の性格は、1960年5月19、20日の安保特別委および衆議院での強行採決を挟んで、質的に変化した。
つまり、安保条約改定の中身についての論議から、強行採決に具現化された政治手法の評価への変化である。
強行採決後、運動は、安保条約の中身を離れて、「反岸」あるいは「民主か独裁か」という性格を強めていった。
つまり、逆説的なことではあるが、国民的規模で展開された安保改定反対運動の軸は、安保条約ではなかった、ということだ。
例えば、江藤淳、浅利慶太、開高健、大江健三郎、石原慎太郎、谷川俊太郎、寺山修司、武満徹といった、思想も行動様式もまったくバラバラな人たちによって作られた「若い日本の会」や、岸首相の「声なき声に耳を傾けなければ……」といった言葉を逆手にとった「声なき声の会」などの、左翼的党派とは性格の異なる集団は、いずれも強行採決に対する反対を契機として発足している。
そこでは、安保条約に関する論点はほとんど問題にされていないのではないか。
そもそも安保条約の改定の何が問題視されていたのだろうか。
1951年に締結された旧条約は、「日本はアメリカに駐留権を与えるが、駐留軍は日本防衛の義務を負わない」という片務的なものだった。
その結果として、アメリカ占領軍が占領終了後にも引き続き日本に駐留することになった。
それを新条約は、「両国が自衛力の維持発展に努めること、日本および極東の平和と安全に対する脅威の生じた際には事前協議を行ない得ること、日本施政権下の領域におけるいずれか一方への武力攻撃に対しては共通に対処・行動すること」等、双務的なものに変更するものであった。
また、旧条約では期限条項がなかったのに対し、期限に関する条項が設けられた。
上記のことだけを考えれば、条約改定はそれほど不合理なものではないように思われる。
福田恒存さんが言った「新条約は与党の言うほど改善されたものではないが、野党の言うほど日本を危機に曝すものではなおさらない」(奥武則『論壇の戦後史―1945-1970 』平凡社新書(0705)から孫引き)という辺りが妥当な評価だったのではないだろうか。
前述のように、5月19、20日の強行採決の際、首相の岸信介は、東条内閣の一員として開戦の詔勅に署名し、A級戦犯容疑に問われた履歴の持ち主であった。また、衆議院議長の清瀬一郎は、極東軍事裁判の日本側弁護団の副団長だった。
歴史のめぐり合わせを感じさせるが、この2人のコンビが、1960年という時期の性格を示しているように思う。
つまり、1956年の『経済白書』に、「もはや戦後ではない」という言葉が記されたが、政治的には、ようやく「敗戦後」が終わろうとしていたのだろう。
三池炭鉱争議は、石炭の時代が終わったことを示すものだった。同様に、安保改定反対運動は、「敗戦後」の終わりを示すものだったのではなかろうか。
保阪正康さんは、『60年安保』講談社現代新書(8605)の「エピローグ」で、「いま『六○年安保闘争』をふり返ってみるとき、戦後の日本がいちどは通過しなければならない儀式だった」と書いている。
それは、「敗戦後」から「敗戦後・後」へ通過するための儀式だったのではないかと思う。
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