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2007年9月25日 (火)

十里木街道関所跡

今日は旧暦の8月15日であるが、「三嶋暦師の館」の帰り道に雲間から顔を出した月を見た妻が、(明後日に)「とても満月になるとは思えない」と言い出した。
確かに、見た目はまだ70%くらいの感じで、満月には間がありそうだったが、視覚の誤差の問題だろうかと思っていた。
「三嶋暦師の館」のホームページに、毎日の月齢が載っている。調べてみたら、今日の0時で13.1とあった。
旧暦の15日で十五夜にあたるのだが、月齢とは必ずしも一致しないということだ。

Pict00162「三嶋暦師の館」の建物は、十里木街道の関所として使われていたものを、安政の大地震の後三島に移築した。
去年、十里木街道関所跡付近を歩いたことがあったが、その時は「三嶋暦師の館」との関係などは知る由もなかった。

十里木街道は、静岡県の富士宮から箱根竹之下を結ぶおよそ十里の道のりの街道である。
富士山と愛鷹山の間を縫うように走る道筋で、竹之下から足柄峠を越えて相模に通じ、静岡・山梨・神奈川を繋ぐ重要な交通路の一つだった。

高度の高いルートなので、往時は整備も行き届かず、かなりの難路だったのではないのだろうか。
直良信夫『峠と人生』NHKブックス(1976)では、延喜式に定められた古東海道の吉原-沼津-御殿場のルートの間道的役割を果たしていたと推測しているようだ。
現在は整備も進み、裾野・御殿場地域と富士・富士宮地域を結ぶ短絡路として交通量は結構多い。
関所は、小田原藩によって設置されたもので、旧富士郡と駿東郡の郡界にあたる場所にある。
説明文には、寛文年間に郡界をめぐって争いがあったことが記されている。
関所は、郡界の管理と街道の往来の管理をしていたのだろうが、江戸末期には既に役割を終えていたということになる。

十里木地域は、標高900~1100m程度の高原地帯で、温暖な静岡県では希少な避暑地である。首都圏からも便利なところなので、リゾート地域として開発が進められている。
現在は、子どもの国、サファリパーク、ゴルフ場、キャンプ場などのレジャー施設のほか、別荘、ペンションなども数多い。

建久4(1193)年、源頼朝は富士の裾野で大規模な巻狩りを催した。
鎌倉に幕府を設置した翌年であり、武威を天下に誇示し、将兵の士気を鼓舞するのが目的だったとされる。
『吾妻鏡』によれば、5月8日から6月7日の間、1ヵ月に及ぶもので、約15万騎が参加したというから、その規模が想像できる。
有名な曽我十郎・五郎兄弟が、父親の仇の工藤祐経を討ったのは、この巻狩りの際である。
巻狩りは、現在の御殿場市から富士宮市にわたる広大な地域で行われ、場所を次々と移動していったらしい。
十里木高原にも本陣が置かれ、頼朝の喉を潤したといわれる「頼朝の井戸」が残されている。

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