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2007年9月27日 (木)

東北フロンティア

人工衛星「かぐや」は、宇宙空間の新しいフロンティアを探索する試みであるが、西日本から開けた日本列島において、古代におけるフロンティアは、東北地方であった。
雄略天皇のこととされる倭王武(9月6日の項)の上表文に、「毛人の国五十五国を討った」というような記述があるように、古くは東北地方は「毛人」の国と呼ばれていた。
東北地方でも、6~7世紀には太平洋側では阿武隈川の河口付近、日本海側では新潟市付近まで国造制が行われるようになる。国造制の及ぶ範囲より北側の地域は、蝦夷(エミシ)と呼ばれるようになった。

蝦夷の語については、さまざまな解釈があるようである。WIKIPEDIA(9月26日最終更新)では次のように説明されている。

古代の蝦夷ははじめ「毛人」と書いて「えみし」あるいは「えびす」と読み、7世紀から「蝦夷」と書かれるようになった。しかし、毛人や蝦夷にはえみしやえびすと通じる音がない。「毛」や「蝦」の字を用いたのは単なる音の転写ではなく、何らかの意味があると考えられる。ここで、毛人は蝦夷に体毛が多かったためだと解し、やはり体毛が多いアイヌと比べる説がある。蝦夷については、カイという音(アイヌ人はモンゴル人から「クイ」ロシア人からは「クリル」と呼ばれた)に通じる呼び名があったためとも、蝦(エビ)に似て髭が長かったためだとも推測される。ただし、これらは三説とも字を見て論じたもので、確かな証拠はない。蝦夷の「夷」の字は東方の異民族に対する蔑称である。

7世紀後半になると、蝦夷の地域の中で比較的政府の影響力の強い場所に城柵が設置された。
城柵の設置された地域では、律令制下の郡が置かれ、国司が駐在した。蝦夷と境を接する地域の国司には、饗給(キョウゴウ)・斥候・征討という任務が課せられた。
饗給は蝦夷に対し食料や武器を与えること、斥候は蝦夷側の動向を探ることである。

和銅元(708)年9月、越後の国司の新たに出羽郡を設置したいという申請が許された。越後の北側に張り出して、新しい郡を作ろうというものである。
翌年には、出羽柵に兵器が運ばれている。出羽柵は、最上川の河口に近いところにあったと推定されている。
日本海側の開拓は、出羽柵が中心になって進められ、和銅5(712)年10月には、出羽郡に、陸奥の国の最上、置賜の2郡を加えて、出羽の国が設置された。
余談ではあるが、置賜の名は、安倍内閣崩壊の原因の一つとなったのではないかと推測される遠藤元農水相が理事長の農業共済組合で有名になった(9月4日の項)。

出羽の国のような新しい国では、柵を作って武力で現地住民を押さえつけるだけでは開拓は進まない。
そこで、移民政策がとられ、東海・東山・北陸道の諸国から、一国あたり50戸ないし100戸というような単位で、集団移住させられた。
これらの移住民は柵戸と呼ばれ、開墾に従事したが、蝦夷との戦闘になれば武器をとって戦った。
蝦夷の側では抵抗する者もあったが、柵戸の新しい技術を受け入れ、多くは融合していく道を選んだ。
陸奥の国の方でも、和銅6(713)年に新たに丹取郡(仙台平野の南半と推定されている)が設置され、養老2(718)年には、石城(イワキ)・石背(イワセorイワシロ)の2国が分立した。

蝦夷の住民の方から、進んで律令体制に入ることを申し出るケースも出て、比較的順調に開拓は進んだが、暴動が起きることもあった。
養老4(720)年、陸奥の国の蝦夷が反乱を起こし、按察使の上毛野広人が殺されるという事件が起きた。按察使は、養老3(719)年に設置された地方行政を監督する令外官の官職で、数か国の国守の内から1人を選任し、その管内における国司の行政を監督させるものであった。

養老5(721)年には、石城・石背の2国を陸奥の国に戻し、出羽の国も陸奥按察使の管轄下に入れ、東北地方を一体的に管理する行政府ができた。
それと並行して、東北地方の軍事的拠点として、陸奥の鎮守府の建設が始まったらしい。
陸奥鎮所を強化するため、豪族たちから位階と引き換えに寄付を募った。
こうした動きが蝦夷を刺激し、養老8(神亀元、724)年、陸奥の海側の蝦夷が反乱を起こした。鎮圧のために、藤原宇合が持節大将軍に任命された。

陸奥鎮所が置かれたのが多賀城である。多賀城には、陸奥鎮守府、陸奥国司が置かれ、按察使が所在した。東北地方における大宰府という位置づけであった。
多賀城の建物は瓦葺にされ、蝦夷に対して国家の威信を誇示した。多賀城には瓦葺の寺院も建てられ、中央の文化の普及が図られた。
天平9(737)年正月、陸奥按察使兼鎮守将軍大野東人が、陸奥の国と出羽の国を結ぶ道路の建設を願い出て許された。

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