律令国家と多賀城
日本古代史のハイライトの一つが、乙巳の変とそれに続く大化改新であろう。
坂本パラダイムのところ(9月14日の項)に記したように、古代史の枠組みを、律令国家の形成との関連で捉えるのが通説であり、乙巳の変と大化改新はいわばその起点だからである。
乙巳の変の経緯ついては、良く知られている。
主人公は、中大兄と中臣鎌足である。飛鳥寺の槻の木の下で打毬の遊びをしているときに、中大兄の靴が脱げたのを鎌足が拾ったのをきっかけとして2人は親しくなった。
そして、飛鳥の朝廷で絶大な権力を握っていた蘇我入鹿を暗殺する計画を密かに立てた。
唐への留学生だった南淵請安の講義を聴きに通う間に密議を凝らしたと伝えられている。
計画が実行されたのは、乙巳の年(645年)6月の雨の日だった。
皇極女帝の板蓋宮(現在の明日香村役場の北付近と推測されている)の大殿で、三韓(高句麗・百済・新羅)の使者が、調(ミツギ)を奉る機会を利用したのだった。
『日本書紀』には、当日の様子がリアルに描かれている。例えば、入鹿に斬りつける実行予定者の佐伯子麻呂や葛城稚犬養網田が緊張の余り吐いてしまったとか、上表文を読み上げていた蘇我石川麻呂が汗を流し震えたとか、中大兄が「やあ!」と掛け声をかけて入鹿に斬りつけた、とかである。
しかし、そもそもの中大兄と鎌足の出会いからして、作り話めいている感がするのは否めないだろう。
この乙巳の変と呼ばれている宮廷内クーデターには謎が多いが、翌大化2(646)年の正月元日に発せられた四条からなるいわゆる「改新の詔」についても、その信憑性をめぐって論議が多い。
藤原宮出土の木簡によって、第二条で用いられている「郡」の用語が、後の大宝令によって修飾されていることがはっきりした(9月12日の項)。
つまり、『日本書紀』に記載されている改新の詔は原詔ではない、ということになる。
詔の史料批判について精細な研究が重ねられ、原詔の復元が試みられているが、未だに定説とされているところには至っていないようである。
改新の原詔がどういうものだったのかは別として、中大兄らが唐を手本に、律令国家形成を意識していたことは事実であると考えられる。
詔の第一条は、私地私民の廃止、公地公民制の導入を定めている。
公地公民制とは、各地の豪族が所有していた土地・人民を国家(天皇を中心とする朝廷)の所有とすることである。
律令国家の土地・人民支配体制の特徴とされるものであり、公地公民制の導入によって、社会構造は大きく変わることになる。
第二条は、京・畿内国・郡・関塞・斥候・防人・駅馬・伝馬をおき、鈴契を造り、山河を定める規定である。
「駅馬・伝馬を設置し、駅伝馬用の鈴契(駅鈴と通行証)を造り、山河によって行政区画を定める」とするもので、交通と通信網の整備が図られた。
改新の詔に示された方針の多くは、大化以降徐々に具体化されていき、大宝元(701)年の「大宝律令」によって体系として整備された、と考えられている。
こうした施策によって、7世紀後半には、中央政府の力が、東北地方に及び始めたわけである。
蝦夷の律令国家に対する反抗は、和銅元(708)年に出羽郡が設置されたことをきっかけとするものが最初だった。
郡の統括下に入ることによって、律令国家の圧力を肌で感じて蜂起したのであろうが、間もなく政府軍によって鎮圧されてしまった。
陸奥側では、養老2(720)年に、石城(イワキ)・石背(イワシロ/イワセ)の2国が福島地方に作られたことをきっかけに、按察使の上毛野広人が蝦夷に殺されるという事件が起きた。
按察使を殺された律令国家は、東北地方の支配体制の見直しを行い、出羽国を陸奥按察使の管轄とすると共に、多賀城を造営して東北統治の拠点とした。
多賀城の南に残っている碑文には、神亀元(724)年に多賀城が創建さと記されている。
また、史料上は、養老6(722)年から陸奥鎮所という名前がみえるが、多賀城に相当するものと考えられている。
(図は、石森愛彦・絵、工藤雅樹監修『多賀城焼けた瓦の謎 』文藝春秋(0707)。
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