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2007年8月 9日 (木)

長崎への原爆投下

長崎へ原爆が投下されてから、62年が過ぎた。原爆投下を巡っては、先の参院選の自民党大敗の一因ともなったかと思われる、久間前防衛相の「しょうがない」発言が記憶に新しい。
久間氏は長崎2区選出であるが、6月30日に麗澤大学で行われた講演において、「長崎は本当に無数の人が悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理」だと語ったと伝えられている。つまり、原爆投下は、戦争終結のために行われ、戦争終結のためには「しょうがない」という認識を表明したものだろう。
久間氏の言う「しょうがない」のニュアンスには良く分からない面もあるが、最終的には肯定せざるを得ない、というのが普通の解釈だと思う。

さすがに世論の反発は大きく、久間氏は防衛相を辞任するはめになったし、参院選の長崎選挙区でも、民主党候補が当選した。被爆国としては当然の反応だと思う。しかし、一方で、「戦争終結のため」という投下の理由は、アメリカでは多数意見のようでもある。
久間氏が、あの時点でああいう発言をした真意もまた良く分からないのだが、とかく問題発言が多いとされていたので、アメリカの立場からの発言によって点を得ようとしたのであろうか? 
しかし、こういう意見のように、もし、原爆投下がなければ日本は降伏しなかったということであれば、「しょうがない」とセットで、戦争継続の責任をより厳しく問わねばならないだろう。

原爆開発者たちは、その威力に関して良く承知していたと思われる。だからこそ、原爆の開発を急いだはずである。そして開発の時点では、確かに戦争終結の手段として位置づけられてもいたのだろう。
しかし、客観的に見れば、既に1945(昭和20)年の8月段階で、日本は「死に体」だったのではないか。つまり、敢えて原爆を投下しなくても、日本の降伏は時間の問題だったのであり、それは、アメリカの戦争指導者も認識していた。
にもかかわらず、原爆投下に踏み切ったのは、日本を降伏させる以外の狙いがあったと考えざるを得ない。それは何だったのだろうか? 

結局は、その威力を実際に人の生活している場所で確認するためだったのではなかろうか。戦争の終結を前提とすれば、勝利者側では、戦後におけるイニシアティブをどの国がとることになるかが重要な関心事になる。
つまり、戦争に勝つことよりも、戦後に優位に立つことの方がより大きなテーマになっていただろう。そのためには、原爆の威力を目に見える形で示すことが有効だと考えたのではないか。

つまり、原爆投下は、実験でありかつ示威であったということだろう。百歩譲って、戦争終結のためだとしても、広島だけで十分過ぎたはずではなかろうか。広島に加えて間をおかず長崎に投下し、しかも広島がウラニウム型、長崎がプルトニウム型と別の種類だったことも、実験や示威の意味合いを感じさせるように思う。

言い換えれば、原爆投下は大規模な人体実験だったということになる。今さらではあるが、東京裁判で問われた「人道に対する罪」は、まさに原爆投下に対して適用されるべきものではないのだろうか。
久間発言は、世論からNOを突きつけられ(当たり前ではあるが)、その世論も参院選を経て既に過去のことにしてしまっているように感じられる。しかし、現在の豊かになった日本が、原爆の惨禍を出発点としていることを思えば、原爆投下を巡る論議は、決して風化させてしまってはならないはずだ。

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