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2007年8月24日 (金)

俳句評価の難しさ

子規の名句の良さがよく分からない、と書いたら、北川透さんの『鶏頭の句の分からなさ』という論が目に入ってきた。
大学で行われた公開講座がベースになっているもので、佐藤泰正編『俳諧から俳句へ (笠間ライブラリー―梅光学院大学公開講座論集) 』笠間書院(0507)に収められている。
北川さんは、「よく知られているというだけでなく、その俳人最高の句」つまり代表句とされるような作品を詠んだとき、作者はどの程度の手応えを感じたのだろうか、と問題を設定する。
「柿くへば」の句もそのような句の一つだろうと思うが、ここで取り上げられているのは次の句である。

鶏頭の十四五本もありぬべし(正岡子規)

北川さんは、この句を「よく知られた正岡子規の代表句」とした上で、「この句はどこがいいのだろうか」と問う。
そして、「実は、この句が分からないのか、それとも俳句というものが分からないのか、正直に申しますと、そのことすら、よく分からないのです」と書いている。
この部分だけ読めば、まさに「我が意を得たり」である。
しかし、すぐ、「《柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺》や、《いくたびも雪の深さを尋ねけり》などの句が、安定した評価を得られているのに比べて・・・」という趣旨のことが書かれていて、「柿くへば」の方は、問題にするまでもなく「名句である」という評価のようである。

子規の作句の方法論として、「写生」という言葉が使われる。当時の新進洋画家だった中村不折との交流のなかから得たものだという。
そして、「鶏頭」の句は、子規の写生論を取り上げるときには、必ずといっていいほど言及される作品である。
問題は、「ありぬべし」という語を、写生との関係でどう解釈するかである。「十四五本」に係るのか「鶏頭」に係るのか。
前者ならば、鶏頭の花が咲いていることは観察されていて、その本数を推量している、ということになるが、後者ならば、鶏頭の花が咲いていること自体が推測ということになる。
子規の病状との関連で、写生の対象(つまり目に見えているものの範囲)をどう考えるかにより、多様な解釈が生まれてくる。

この句は、現在では、子規晩年の代表作としての評価が定着していると思われる。しかし、子規の第一の弟子だった高浜虚子は、一貫して佳句として認めることがなかった。
虚子ばかりではなく、この句が生まれた句会でも評価されなかったらしい。
この句は、明治33年9月9日の子規庵句会で、「鶏頭」という席題で詠まれたものだが、この句会で、子規は9句を出した。しかし、当該句は、子規を除いた参加者18名のほぼ全員から無視されたという。
虚子も他の俳人も、同じような評価だったということだろう。

「鶏頭」の句は、長塚節や斉藤茂吉などの歌人が称揚したことによって、改めて俳壇でも再評価されることになった。
しかし、茂吉らがこの句を称揚した後に虚子が編んだ『子規句集』においても、この句は採られていない。
つまり、虚子は茂吉らの評価を踏まえた上で、あえて落としているのであり、その評価は確信的なものだったと考えざるを得ない。

名句として高い評価を得ている句を、「選句は創作である」を旨とし、大岡信さんをして「大変な眼力の持ち主」と言わしめる虚子が選ばなかった。
そこが面白いところとも言えるのだが、俳句の評価は難しいものだと思う。

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