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2007年8月27日 (月)

偶然か? それとも・・・②大津皇子

8月26日の産経新聞の投稿欄「産経俳壇」の宮坂静生選の第一席に次の句が選ばれていた。

滴りや地底ゆ大津皇子の声(杉下賢三/宇治市)

宮坂さんの<評>として、「二上山は伝大津皇子の墓がある。山の滴りに耳を澄ますと、地の底から皇子の声が聞こえてくるという。「ゆ」は「から」の意。大津は謀反の嫌疑で殺された悲劇の皇子。追慕の作である。」という文が付いている。

大津皇子と石川郎女の間に、有名な相聞歌がある。

あしびきの山のしづくに妹待つと吾れ立ち濡れぬ山のしづくに(大津皇子)
吾を待つと君が濡れけむあしびきの山のしづくにならましものを(石川郎女)

何かの本で、この相聞歌を知った。
う~ん、羨ましい。こんな返歌を貰ったら、それこそ男冥利というものだろう。
ミーハー的に大津皇子ファンになった。もう少しその境涯を知りたいと思い、関係書を探し初めていた今年の3月のことである。
小学校の同窓会があって、奈良県の二上山の麓と同山を挟んで大阪側に住んでいる幼馴染が参加した。
大津皇子について知る人は少なかったが、是非大津皇子の墓参ツアーを企画したい、などと勝手に盛り上がったのだった。

たまたまその時、、井沢元彦『猿丸幻視行』講談社文庫(8308)を途中まで読んでいた。
1980年に、第26回江戸川乱歩賞を受賞した伝奇ミステリーである。
時は明治42(1909)年。後に国文学・民俗学の大家となり、また釈迢空のペンネームで数多くの短歌を残した折口信夫は、まだ國學院大學の学生である。
その学生折口に、実像がまったく不明で「謎の歌仙」といわれている猿丸大夫にまつわる謎解きをさせる、という趣向の小説だ。

2人の幼馴染を新幹線に送ったあと、続きを読んでみてびっくりした。
最後のページに、折口の人生を総括する記述があり、「唯一の小説『死者の書』は大津皇子復活物語である」と書いてあった。
折口信夫の名前や『死者の書』のタイトルくらいは知っていた。
しかし、この書は、折口の作品の中でも難解といわれているようなので、興味の外にあった。
それが、まさか、大津皇子を主人公としているとは・・・
不思議な因縁を感じざるを得なかった。 

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