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2007年8月21日 (火)

偶然か? それとも・・・

近所の古本屋で、遠藤周作『ピアノ協奏曲二十一番』文藝春秋(8705)を手にした。
遠藤周作の本は今までほとんど読んだことがなかったが、タイトルが、若い頃良く聴いたモーツアルトに因んだものだったので、ちょっと読んでみようか、という気持ちになった。
「遠藤周作 小説の館」というサブタイトルの10の小編(掌編というべきか)を収めた作品集である。

この短編集の中に、『箱』という作品がある。冒頭で、植物も面倒を見てくれる人の心や言葉を理解する、というような話があって、朝顔に水をやるときに、「いつまでも花を咲かせろ」と言葉をかけて水遣りを続けた結果、冬でも花をつけていた、というような話が載っている。
確かに、植物は愛情の掛け具合に素直に反応する、ということはよく聞く。しかし、私は唯物論者だから、それは栄養バランスが良くなる等の結果だろうと考える。
作者(小説は一人称で書かれており、以下「私」と表記)もそう考えていたのだが、朝顔体験などから、どうもそうでもない、と考えるようになる。

「私」は中軽井沢の別荘で小説を書いている。タイトルの「箱」は、「私」が、上田市の古道具屋兼骨董屋で買った千代紙を貼った「木箱」のことである。骨董にもならないようなモノで、店主が「タダでもいい」というような何の変哲もない「箱」だ。
その木箱の中に、絵葉書が入っていた。ルジェールという名前の女性宛の、友人、知人らからの絵葉書である。
軽井沢の路地裏にある古いクリーニング屋の主人が、ルジェールの消息を記憶していた。

軽井沢は、昔から外国人が夏の間の避暑地として利用していた。ルジェールの一家もそうだった。
ルジェール自身は、東京の某国大使館のタイピストをしていた。
戦局が悪化してくると、特に外国人の生活環境は悪化し、食べるものにも困窮するようになる。そこに憲兵が目をつけ、ルジェール自身や老いた父を痛い目に遭わせるなどと脅迫して、ルジェールを協力者に仕立てることに成功する。

軽井沢では、反東条英機派が和平工作を進めていた。その工作の橋渡しをルジェールの勤務する中立国に依頼するという計画であり、その情報の入手活動をルジェールにさせようということだ。
しかし、結果として、疑わしい手紙などが一通も見当たらないことが分かった。
そのルジェールが残した絵葉書だった。
「私」は、ふと、何の変哲もない絵葉書の文面が、一種の暗号文ではないか、という思いに捉えられる。しかし、そう考えればそうとも考えられる、ということで、裏付ける根拠があるわけではない。

この作品集を読んでいると、遠藤周作の小説創作の腕の冴えとでもいうべきものを感じる。最近は余り小説を読んでいなかったが、久しぶりに物語の面白さを堪能した。
ありもしない、ありそうなことを紡ぎ出す小説家というのは、典型的な想像力の持ち主であろう。
終戦直前の近衛文麿らによる和平工作という歴史的事実を背景に、ルジェールというキャラクターを設定し、そのキャラクターを引き出すために、木箱や絵葉書という小道具を作り出す。それは、小説家の湧源性というものだと思う。

この作品の一節に、箱の中の何枚かの葉書がひとつの念力になって、「私」のような男に読まれるのを待っていた、というようなことが書いてある。心や言葉を解する朝顔の話の続きである。
私がこの作品集を手にしたのは、ほんの偶然である。
それは、「ソ連の対日参戦」(8月10日の項)や「終戦の経緯と国体護持」(8月14日の項)で、終戦直前のソ連を仲介者とする和平工作に触れたばかりのタイミングだった。
ひょっとしたら、この本も、古書店の片隅で、私が終戦直前の和平工作に関心を持つのを待っていたのかも知れない。

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