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2007年8月13日 (月)

戦中レジームの一断面

「戦後レジーム」を考える視点の一つは、「戦前・戦中レジーム」との対比であろう。「戦前・戦中レジーム」とは何か?
もちろん、多様な側面があっただろうが、とりあえずは、帝国主義、軍国主義、皇国史観などの言葉で表されるような時代といえよう。
その体制を支える制度の一つに、治安維持法があった。

8月7日の産経新聞に、戦時下の特高警察の捜査資料が散逸の危機にさらされている、という記事が載っていた。
資料は、元特高係の井形正寿さん(86歳)が、勤務先の警察署からひそかに持ち出して保管していたものだが、高齢のために管理が難しくなっており、大学や図書館などの寄贈先を探している、ということだ。

資料には、例えば東条英機首相宛の「……戦争にマけてモヨいから、一日モ早く戦争がすめばよいと思います」というような、率直な声が残されているという。
特高警察側からみれば、治安維持法に照らして「不穏文書」と位置づけたものであり、差出人は捜査の対象にされた。
敗戦後、特高係の捜査資料は、すべて焼却してしまうよう指示があったが、井形さんは、「命がけで信念を訴えたと思うと、……ちゃんと歴史に残しておきたかった」という思いで、背広の胸ポケットなどにしのばせて自宅に持ち帰ったという。

治安維持法は、1925(大正14)年に公布された法律で、「国体変革・私有財産否定を目的とする結社・運動の取り締まり」を目的としていた。
「国体」という言葉は、今ではもっぱら国民体育大会の略語として用いられているが、治安維持法でいう「国体」は、「天皇が統治する日本国の国家体制のこと」である。
ほぼ同時に普通選挙法も公布されたことから、飴と鞭の関係にたとえられる。敗戦後の1945(昭和20)年10月に廃止された。

現在の生活からはなかなか想像することができないが、治安維持法により、194人が拷問で殺され、1503人が獄中で病死したとされている。まさに恐怖の悪法というべきであろう。
治安維持法が廃止されたことからだけでも、「戦前・戦中レジーム」よりも「戦後レジーム」の方がマシだと思うが、治安維持法に抗して「命がけで信念を訴えた」庶民が少なからぬ数存在し、治安維持法の執行者の側だった中に、その思いを後世に伝えようとしている人がいることに、ホツとするような思いがする。

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