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2007年8月15日 (水)

戦後神話とは?

昨日の産経新聞「正論」欄に、松本健一さんが「戦後神話から目覚めよ」という主張を書いている。神話とは、事実でないことが広く信じられている、というような意味であろうか。
松本さんは、「戦後神話」として、「(丸山真男によるとされる)昭和二十年八月十五日、日本に無血革命があった」という見方を挙げて、次の2つの疑問を提示している。

第一は、「丸山真男は、ほんとうに八・一五に「無血革命」があったと考えていた」のかどうか。
第二は、「八・一五に革命があった」というのは事実かどうか。
もちろん、より重要なのは、歴史認識としての第二の論点の方である。

第一に関しては、丸山真男自身が、昭和22年1月に発表した文章の中に、「日本のいわゆる無血革命二年目を迎えて‥‥」と書かれていることから、丸山真男にそういう認識があったことは証明できる、としている。
そして、丸山真男の、広島の軍隊にいたときにポツダム宣言を読み、そこに「基本的人権の尊重」とあるのを発見して嬉しくて顔の筋肉がゆるんだ、という体験を紹介している。

丸山真男が、ポツダム宣言をそう受け止めたのはよく分かると思う。
東大で政治思想史を講じていた丸山真男は一兵卒として召集され、軍務に服していた。つまり「戦前・戦中レジーム」の批判者であると同時に、その犠牲者でもあった。
だから、ポツダム宣言の受容によって、「戦前・戦中レジーム」から脱却できると考えたのだと思う。
軍の中にいても、日本がポツダム宣言を受諾せざるを得ない情勢にあることは、丸山真男のような知識人には、明白なことだっただろう。

丸山真男の「革命認識」を受けて、東大の憲法学者だった宮沢俊義が「八月革命と国民主権主義」と題する論文を書いた。
ポツダム宣言を受諾したことにより、国家の主権が天皇から国民に移り、それは「法学的な意味における革命」である、という趣旨である。
この趣旨のもとに、日本国憲法は、主権者である国民が正当に制定した民主的憲法である、とする。現在の「護憲論」の源流ともいうべき認識であろう。

松本さんは、宮沢説は、次の2点で無理があるという。
第一に、ポツダム宣言の受諾が天皇の名においてなされていること。
第二に、憲法の一番の論点である第9条の「戦争放棄」と「武力の不保持」が、連合国が求めた懲罰的条項であること。
つまり、それは「革命」ではなく「敗戦」なのであり、それを決断したのは昭和天皇である、と松本さんはいう。

ポツダム宣言受諾の経緯は、松本さんの説くとおりだろう。「革命」ではなく「敗戦」だという指摘も同意する。しかし、以下の点で宮沢説を擁護したい。
第一に、ポツダム宣言が発せられた当時の統治権者は天皇だったのだから、その受諾は天皇の名において行うしかなかったはずだ。天皇以外の名で行われたとすれば、その正当性が問われたに違いない。
天皇の名において受諾したにしても、受諾によって、法的に主権が天皇から国民に移ったと考えるべきではないのか。
もちろん、それが「法的な意味における革命」かどうかは別問題である。

法的に主権が国民に移っているのであるから、憲法の制定には法的根拠があると考える。
松本説に対する第二の疑問は、第9条に関してである。それが懲罰的条項だからといって、直ちに非ということなのかどうか。先ず問われるべきは、その内容の妥当性だと思う。
とはいえ、私は、第9条を金科玉条として変更すべきでない、と考えているわけでもない。懲罰的条項だから否定されるべきだという考えに組しない、ということである。

というようなことはともかく、そもそも、「八・一五に革命があった」という説は、いま広く信じられているのだろうか。とてもそうは思えない。
「ポツダム宣言の受諾による敗戦があった」という認識の方が一般的だと思う。

「ポツダム宣言を黙殺する」という日本政府の態度表明によって、(日本の降伏を早めるために)「アメリカが原爆を投下し、ソ連が参戦することになった」という説が神話かどうか、は微妙な問題だと思う。
松本さんは、それらがポツダム宣言以前から米ソによって計画されていたのだから神話だ、という。
確かに、原爆投下も対日参戦も、相当の準備期間を要することだから、「ポツダム宣言黙殺」の表明を受けて、瞬間的に決断するというようなことではないだろう。

しかし、ポツダム宣言を直ちに受諾していれば、アメリカの原爆投下も、ソ連の対日参戦も、理由がなくなっていたはずである。
無条件(かどうかは議論があるにしても)降伏した国に、原爆を投下したり、改めて宣戦布告することは許されないからである。
黙殺という態度表明の故かどうかは別として、ポツダム宣言受諾が遅延したことが、原爆投下やソ連の参戦を可能にした、という認識は、決して神話ではないと思う。

「八月に革命があった」などとはとても思えないが、レジームの転換があったことは間違いないだろう。もちろん、「敗戦」による他動的な転換であるにしても、である。
そして、その転換は、総体として是とすべきものではないのだろうか。

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