第二芸術論再読
「選句」をめぐる議論といえば、桑原武夫の「第二芸術論」が有名だ。
フランス文学者だった桑原は、京都大学人文科学研究所を中心に、ユニークな共同研究の組織者として活躍したことでも分かるように、広い視野とバランス感覚の持ち主だった。
その桑原が、俳句は心魂を打ち込むべき芸術ではなく、その慰戯性を自覚した方がいい、と論じたのだった。
岩波書店発行の雑誌「世界」の昭和21年11月号に掲載されたもので、原題は、『第二芸術-現代俳句について』である。夏石番矢編『俳句 百年の問い』講談社学術文庫(9510)に収録されている。
桑原が、俳句を「第二芸術」と断ずることになるきっかけは、自分の子供が国民学校(戦時中の小学校)で俳句を習ってきたことである。子供に実作の指導を依頼されたことから、手許にあった雑誌に載っている諸家の俳句を読んでみようという気になった。
10人の俳人の作品から1句ずつ選び、それに無名あるいは半無名の人々の句を5句まぜたリストをつくって、周りにいた同僚や学生に示して優劣の順位をつけさせた。
対象とされた句は以下の通りである。
1 芽ぐむかと大きな幹を撫でながら
2 初蝶の吾を廻りていづこにか
3 咳くとポクリッとベートーヴェンひゞく朝
4 粥腹のおぼつかなしや花の山
5 夕浪の刻みそめたる夕涼し
6 鯛敷やうねりの上の淡路島
7 爰に寝てゐましたといふ山吹生けてあるに泊り
8 麦踏むやつめたき風の日のつゞく
9 終戦の夜のあけしらむ天の川
10 椅子に在り冬日は燃えて近づき来
11 腰立てし焦土の麦に南風荒き
12 囀や風少しある峠道
13 防風のこゝ迄砂に埋もれしと
14 大揖斐の川面を打ちて氷雨かな
15 柿干して今日の独り居雲もなし
桑原自身は、これらの句に優劣をつける気も起こらず、ただ退屈したばかりだった、と述べている。
そして、周りの人の評価を集約すると、作者の優劣や大家と素人との区別がつけにくい、ということになった。
確かに、この中には大家の作品(草田男-3、井泉水-7、たかし-10、亜浪-11、虚子-13)などが含まれているが、それを他よりも優れたものとして選び出すことは殆んど不可能であろう。
桑原があえて凡作を選んだわけではないだろうが、これらの句が、黛まどかさんの『知っておきたい「この一句』に収録されていたとして、私も高い評価をしないだろうと思う。
とすれば、現代の俳句は、作品自体で作者の地位を決定することが難しく、作者の地位は作品以外の、例えば俗世界における地位のごときもので決められるしかない。
それは、弟子の数や主宰誌の発行部数などであるから、党派を作ることが必然の要請になり、有力な党派から別派が生まれるのは自然で、数多くの派が生まれることになる。
その党派は、中世職人組合的で、神秘化の傾向を含み、古い権威を必要とする。俳句の場合、その聖者が芭蕉であり、「さび・しおり・軽み」等々がその経文である。
桑原は、水原秋桜子の「俳句の取材範囲は自然現象及び自然の変化に影響される生活である」という説を認めつつ、その方法として、「小品の絵を描くようなつもりで」という言葉に疑問を呈する。
指導者が、他のジャンルに方法を学べというような修業法を説くようでは、既に命脈が尽きているのではないのか。かかるものは、他に職業を有する老人や病人が余技とし、消閑の具とするのがふさわしいだろう。
それを「芸術」と呼ぶのは言葉の乱用であって、あえて言えば「第二芸術」として区別すべきである。
私たちのような素人の読者にとっては、俳句が第一芸術であろうが、第二芸術であろうが一向に構わない。しかし、俳人と呼ばれるような人たちにとっては、強いインパクトがあったようだ。
(因みに、作者は、上記以外に、青畝-1、草城-4、風生-5、蛇笏-8、秋桜子-15が著名人で、他が新人または無名の人である)
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