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2007年8月28日 (火)

死者の書

折口信夫には、なぜかとっつき難い印象を持っていた。しかし、『死者の書』が大津皇子に係わる物語であるならば、読んでみなくては……、である。
私が手にしたのは、中公文庫版『死者の書・身毒丸』であるが、解説を川村二郎氏が書いている。
「『死者の書』は、明治以後の日本の近代小説の、最高の成果である」というのが、川村氏の評価だ。
私にはもちろんそこまで断言するような識見はない。
しかし、何とも不思議な読後感を残す小説だった。冒頭の死者が蘇生するところからして、印象的な文章だ。

彼(カ)の人は、まっ暗やみの中で、徐(シズ)かに眠りから覚めて行った。

した した した。耳に伝ふやうに来るのは、水の垂れる音か。

やがて、彼の人が滋賀津彦(大津皇子)で、そこが二上山の地底であることが分かる。

大津皇子は天武天皇の皇子だが、天武の死の直後に皇后持統から、謀反の嫌疑をかけられて死を賜る。
そのさまを、『日本書紀』は、次のように淡々と叙述している(宇治谷孟訳/日本書紀〈下〉 (講談社学術文庫) (8808))。

(朱鳥元年)冬十月二日、皇太子大津の謀反が発覚して、皇子を逮捕し、合わせて皇子大津に欺かれた直広肆八口朝臣音橿・小山下壱岐連博徳と、大舎人中臣朝臣麻呂・巨勢朝臣多益須・新羅の沙門行心と帳内礪杵道作ら三十余人を捕らえた。
三日、皇子大津に訳語田の舎で死を賜った。時に年二十四。妃の山辺皇女は髪を乱し、はだしで走り出て殉死した。見る者は皆すすり泣いた。

大津皇子は実際に謀反を起こしたのか、あるいは何らかの謀略に嵌められたのか。
その実相は謎であるが、謀反の発覚から死に至らしめるまでの手際の良さからして、何らかの謀略があったと考えるのが自然だろう。
産経俳壇の句は、二上山の地底から、「した した した」と水の滴る音とともに、謀略により不本意な死を余儀なくされた大津皇子のうめくような声が聞こえてくる、ということだろう

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