« 第二芸術論再読 | トップページ | 偶然か? それとも・・・②大津皇子 »

2007年8月26日 (日)

第二芸術論への応答

桑原武夫の『第二芸術』について、阿部誠文『戦後俳句の十数年』(佐藤泰正編『俳諧から俳句へ 』笠間書院(0507)所収)は、名家を選ぶ基準も示されず、手元の資料だけにより、素人数人の意見で結論を急いでいるなど、方法にも結論も妥当性を欠き、無効である、としている。
しかし、同時に、きわめて有効な評論であった、ともする。反響が大きく、阿部氏の調査の範囲で、昭和22年だけで、90篇の反論が書かれている、という。

阿部氏によれば、反響は反発や批判が多かったが、それはいきなり俳句を否定された反発であり、俳人は、反発を示しながらも、俳句性の探究に向かった。
つまり、時代の転換期にあって、俳句転換を求める方向性が探求されようとしている折り、桑原の論は、俳句界のみならず、短歌界にも影響を及ぼした有効な批評であった、という評価である。
『第二芸術』に挑発されて(?)多くの論考が発表され、俳句の本質を探る試みが深まった。阿部氏の論文から抜粋してみよう。

1.山本健吉「挨拶と滑稽」(「批評」昭和22年12月号)
この論文は、「第二芸術論」と並行して書かれたもので、応答という位置づけではないが、俳句の本質に係わる論考として、幅広い影響を与えた。
俳句性(俳句が他のジャンルと違う点)として、「有季・定型・切れ」の三要素があげられる。山本はそのよってくるところは何か、と問い、「滑稽、挨拶、即興」を抽出した。
それは発句の要件というべきものであって、現代俳句には必ずしもそぐわないが、「第二芸術論」と相まって、俳人たちを俳句性探究に向かわせる役割を担った。

2.根源俳句
山口誓子は、「天狼」昭和23年1月号において、「人生に労苦し、齢を重ねるとともに、俳句のきびしさ、俳句の深まりが何を根源とし、如何にして現るるかを体得した」と書いて、俳句の根源について、問いかけた。
山口自身は、最初は生命イコール根源とし、後に無我・無心の状態が根源だと変化したが、多くの俳人が俳句の根源について論じ、「内心のメカニズム」「実存的即物性」「抽象の探究」などが論じられた。

3.境涯俳句
境涯俳句とは、人それぞれの境涯、その人の立場や境遇を詠んだ俳句をいう。
狭い意味では、昭和27、8年頃まで貧窮・疾病・障害などのハンディを負った生活から詠まれた句を指す。戦争の影響が、多くの人に重い境涯をもたらしたことの反映でもある。

4.社会性俳句
社会性俳句は、歴史的な社会現象や社会的状況のなかに身を置き、関わりながら詠んだ作品である。
狭い意味では、「俳句」昭和28年11月号で、編集長の大野林火が、「俳句と社会性の吟味」を特集して以後の流れを指す。

5.風土俳句
社会性俳句の中で、地方性、風土性の強い俳句を指す。俳句はもともと風土的であるが、特に地方の行事、習俗、自然を詠んだものをいう。

6.前衛俳句
金子兜太が、「俳句」昭和32年2月号に、『俳句の造型について』という俳句創作の方法論に関する論考を発表した。
「諷詠や観念投影といった対象と自己を直接結合する方法に対し、直接結合を切り離してその中間に“創る自分”を定置させる」というもので、そこから生まれた流れが「前衛俳句」と呼ばれた。
具体的には、以下のような作品を指す。
 a 有機的統一性のあるイメージが、同時に思想内容として意味を持つ作品
 b 二つのイメージを衝突させたり組み合わせた作品
 c 多元的イメージを一本に連結した作品

阿部氏によれば、戦後の十数年は、政治的・経済的な混乱・転換期で、生活することや精神面で自らの拠り処を必要とした。
その起爆剤となったのが、桑原武夫の「第二芸術論」であり、それを表現の探究へ向かわせたのが、山本健吉の「滑稽と挨拶」だった。
しかし、社会が安定するにつれ、自己の拠り処を求める切実さは失われ、新しい俳句の探究も影をひそめていった。

|

« 第二芸術論再読 | トップページ | 偶然か? それとも・・・②大津皇子 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/395349/7608132

この記事へのトラックバック一覧です: 第二芸術論への応答:

« 第二芸術論再読 | トップページ | 偶然か? それとも・・・②大津皇子 »